河原宿大橋バス停8:30~心源院8:40/50~向山北砦9:15~第六天9:25/35~三又峠9:55~柵門跡10:35~松木曲輪見晴台10:55/11:20~詰の城11:50~富士見台手前521m付近12:05/15~富士見台12:25/50~荒井バス停分岐13:30/50~太鼓曲輪尾根取り付き14:10~曳橋14:55~八王子城跡バス停15:00
戦国時代の北条氏の山城・八王子城には観光客も登る東尾根のコースのほか幾つものコースが開かれています。河原宿大橋から登る緩やかな心源院コースは、地元の人が整備された手作りの案内板が整備されているところです。
高尾山駅北口のバス停にはたくさんのハイカー、小仏峠や陣馬山への乗り口は長蛇の列が続いていました。
たどり着いた河原宿大橋から僅かに歩くと心源院です。閑静とした禅寺はもみじの名所で11月末にはライトアップも行われているようです。
心源院は八王子城の城主、北条氏輝の菩提寺です。また武田信玄の娘、松姫が仏門に入ったところとか、幼くして織田信長の子、信忠と政略結婚しますが夫婦として一度も会うことが出来なかったと伝えられています。
境内の外れにはハイキングコースの道標があります。落ち葉を踏みしめながらひと登りすると秋葉神社です。
神社の奥から続く尾根道を緩やかに登って行きます。しばらく登ると目の前が開けた向山北砦の跡です。近くにあったという小田野城とともに八王子城の搦め手を守っていたのでしょう。
豊臣秀吉の小田原攻めの時、北条氏照を始めとする主な家臣は小田原城に入ったことにより陣馬街道の松竹橋から攻め上った上杉景勝、前田利家の軍勢によりわずか半日で落城したと伝えられています。
広葉樹の稜線は小さなアップダウンを繰り返しながら第六天の分岐へ、左手に僅かに登ると視界が開けた展望台です。霞んだ空の中に都心のビル群、スカイツリーの尖塔が浮かんでいました。
分岐に戻り尾根道を進むと三叉峠です。左手下って行く道は北条氏照の墓を通り管理棟へと下って行くようです。
落ち葉が降り積もる道は小さなコブを越えながら高度を上げていきます。やがて右手から陣馬街道の松竹から登って来る道を合わせる分岐です。まっすぐ登って行く急坂は城跡周遊ルートへと続いているようですが通行止めのようでした。
山肌を巻くように登って行くと管理棟から登って来る旧道を合わせ柵門跡にたどり着きます。ここからは観光客も目立つ石段が続く登りです。ひと登りすると展望が開け、松木曲輪の土塁を回り込むとまだもみじが残っている展望台広場にたどり着きました。
目の前には都心のビル群、右手には横浜のランドタワーも霞んでいるようです。展望を楽しんだのち雑木林の道を詰めの城に向かいます。
詰めの城の堀切は八王子城最大の堀切です。急な下りは枯葉で滑りやすく気を抜けないところでした。
急な登りに息を切らせながら登って行きます。高尾北稜コースを歩いてきたのか若者が下ってきます。軽装のトレランの若者も多いようです。
たどり着いた富士見台からは小仏城山の先に富士山、その前に横たわる稜線は道志の赤鞍ヶ岳のようです。
富士見台からは太古曲輪尾根を目指すことにします。思いのほか急な下りから登り返すと熊笹山、ここは巻き道をたどり下って行きます。最後は木の根を頼りに下る急坂でした。
たどり着いた鞍部には御主殿の滝へと下る道が分かれています。高尾山登山コースの詳細図には現在通行止めと記されていますが、夏場は藪がうるさいようですが踏み跡もしっかりしているようです。
僅かに登り返すと荒井バス停へと下って行く分岐、さらにその先に太鼓曲輪尾根の分岐があります。
下り始めは急坂、僅かに下ると雑木林の中の尾根道歩きになります。木の幹には太鼓曲輪尾根の道標が打ち付けられています。
しばらく下ると第五堀切、八王子城の防御線として掘削された堀切です。さらにその先に第四堀切、第三堀切と深い堀切が続いています。堀切の巻き道には固定ロープがありますが枯葉に覆われた急斜面は滑りやすく気を抜けないところです。
たどり着いた第二堀切、まっすぐ行く道は片堀切を越え宮の前へと続いているようですが左手に八王子城へと下って行く道が分かれていました。左手の道をしばらく下って行くと曳橋の前にたどり着きました。
ここは八王子城の観光に訪れた人も散策するところです。管理棟下から舗装道路をしばらく下って行くとガイダンス棟、ロータリーにはハイカーが数名、高尾駅行きのバスを待っていました。