佐倉城(鹿島城) 


 城郭の構造:連郭式平山城
 築城の時期:天文年間か
 廃城の時期:明治6年(1873年)
 主な城主:鹿島親幹、千葉邦胤、土井利勝、堀田氏
 所在地:千葉県佐倉市城内町
 訪問日:2018年8月18日

 

戦国時代、千葉親胤が鹿島幹胤に命じて築城を開始したが、親胤などの暗殺で工事は中止され完成することはなかった。慶長15年(1610年)に佐倉に封ぜられた土井利勝によって築城が開始され元和2年(1616年)に完成しました。

鹿島山の台地の先端に位置し、北に印旛沼、西と南に鹿島川、高崎川の低湿地帯が広がっています。

佐倉城公園の中に自由広場
自由広場の脇に案内板
公園の案内板
三の門の空堀
三の門跡
富士山が見えると言う浅間神社跡
土塁の脇は出丸へと下る道
茶室・三逕亭

江戸の東を守る要として有力譜代大名が城主となり、幕府の要職に就きました。なかでも、幕末期の藩主・堀田正睦は、日本を開国に導いた開明的な老中として有名です。

佐倉城址公園として昭和54年度から整備が行われ、水堀の復元・本丸跡・出丸跡・三逕亭(茶室)などが整備されました。

堀田正睦公の銅像
二の門跡
本丸をめぐる空堀
一の門跡
本丸を守る土塁
本丸天守の案内板

大手門跡から公園に入ると大きな駐車場があります。公園内には三逕亭と呼ばれる茶室や幕末期の老中、堀田正睦公の銅像がありました。

本丸天守の案内板
本丸の屋敷配置
本丸天守跡
台所門跡
角櫓跡
正岡子規の歌碑

本丸を巻くようにして彫られた空堀はかなりの深さがあるようです。土塁をめぐらせた本丸に入るとその奥に三重櫓(御三階櫓)跡があります。天守を持たなかった城のようで付近には三重櫓の案内板がありました。

 

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TAG:日本百名城
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