戦国時代、千葉親胤が鹿島幹胤に命じて築城を開始したが、親胤などの暗殺で工事は中止され完成することはなかった。慶長15年(1610年)に佐倉に封ぜられた土井利勝によって築城が開始され元和2年(1616年)に完成しました。
鹿島山の台地の先端に位置し、北に印旛沼、西と南に鹿島川、高崎川の低湿地帯が広がっています。
江戸の東を守る要として有力譜代大名が城主となり、幕府の要職に就きました。なかでも、幕末期の藩主・堀田正睦は、日本を開国に導いた開明的な老中として有名です。
佐倉城址公園として昭和54年度から整備が行われ、水堀の復元・本丸跡・出丸跡・三逕亭(茶室)などが整備されました。
大手門跡から公園に入ると大きな駐車場があります。公園内には三逕亭と呼ばれる茶室や幕末期の老中、堀田正睦公の銅像がありました。
本丸を巻くようにして彫られた空堀はかなりの深さがあるようです。土塁をめぐらせた本丸に入るとその奥に三重櫓(御三階櫓)跡があります。天守を持たなかった城のようで付近には三重櫓の案内板がありました。