戦国時代は三本松城と呼ばれ吉見氏の居城です。11代当主吉見正頼は大内氏を滅ぼした陶晴賢に対し挙兵、三本松城の戦いと呼ばれる100日以上の籠城戦が行われました。
厳島合戦ののち毛利氏の傘下に入った吉見氏は関ヶ原の戦いで西軍が敗れると毛利氏とともに津和野を退去します。その後、大坂の陣で千姫を助けた坂崎直盛が3万石で入城し石垣を多用した近代城郭として改築されました。
千姫事件で坂崎直盛が自害すると元和3年(1617年)因幡国鹿野藩より亀井政矩が4万3千石で入城。以後、明治維新まで11代にわたり亀井氏の居城となりました。
ロープウェイを登って行くと中国自然歩道が通る尾根道です。雑木林の中を進むと出丸の下にたどり着きます。修復工事が進む石垣の脇を登ると広い出丸です。目の前には津和野の街が一望できるところです。
鞍部に下ると本城への石段が始まります。本城は大きな石垣をめぐらせた堅固な造りになっています。二ノ丸の上に天守台、最上部は三十間台の広場となっていました。
慶長5年(1600年)関ヶ原で石田三成らの西軍と徳川家康らの東軍とが天下を争った戦い。小早川秀秋の寝返りにより東軍が大勝した。石田三成らは処刑され豊臣秀頼は60万石の大名に転落した。これにより徳川氏の覇権が確立した。
1497~1571年、戦国時代の武将。大内義隆が家臣陶晴賢(すえはるかた)に倒されたのち、陶氏を討って周防・長門を支配下に収めた。出雲の尼子氏を倒して中国地方10か国を制覇。一族の結束を固めるための三本の矢の教訓が有名。
1497~1571年、戦国時代の武将。大内義隆が家臣陶晴賢(すえはるかた)に倒されたのち、陶氏を討って周防・長門を支配下に収めた。出雲の尼子氏を倒して中国地方10か国を制覇。一族の結束を固めるための三本の矢の教訓が有名。
1560~1600年、安土桃山時代の武将。豊臣秀吉に重用され、五奉行の一人として太閤検地などに活躍。秀吉の死後、遺子秀頼を擁ようして徳川家康と対立、関ヶ原の戦いに敗れ京で斬首された。
1543~1616年、江戸幕府初代将軍。松平広忠の長男。織田信長と結んで駿河を、豊臣秀吉と和して関東を支配。豊臣秀吉の死後石田三成を関ヶ原の戦いに破り、慶長8年(1603年)征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。武家諸法度などを定めて幕政の基礎を築いた。
1593~1615年、安土桃山・江戸前期の大名。大坂城主。豊臣秀吉の次男。徳川家康の将軍就任に伴い一大名となる。方広寺鐘銘事件を端に徳川家との間に大坂冬の陣を起こす。一旦講和するが大坂夏の陣に敗れた。