14世紀後半頃迄に先中城按司が数世代にわたり石積みの城郭を築き始め、1440年に読谷の座喜味城から移ってきた護佐丸盛春によって、三の郭、北の郭が増築され現在の形が完成したとされています。
1458年、勝連按司阿麻和利が首里王府軍の総大将として中城城を急襲し、護佐丸滅亡により中城間切は王府の直轄地となります。
太平洋戦争の沖縄戦では多くの文化財が消滅しましたが、中城城は戦争の被害が少なかったためグスクの石積みが良好に残った城だと言われています。
2000年(平成12年)首里城跡などとともに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されています。