北海道内で唯一の日本式城郭で日本百名城にも指定されています。江戸時代の末期、日本近海に頻繁に現れるようになった異国船に備えるため幕府が特旨をもって築城を命じたもので、松前藩の居城であった福山館を拡張する形で築城し安政元年に完成しました。
三の丸には7基、城外にも25門の大砲が設置され海への備えが充実した城でした。
箱館戦争では明治元年(1868年)11月5日、土方歳三が率いる旧幕府軍に攻め落とされたましたが、翌年新政府軍が奪回しました。
明治維新以降、天守を除く城の大半が破却され、天守も昭和24年(1949年)に焼失、現在の天守閣は昭和35年(1960年)に復元されたものと言います。本丸御門は国の重要文化財に指定されています。
小高い丘陵の上に広がる城址公園を訪ねたのはゴールデンウィークの最中、広く開けた公園は満開の桜に包まれ、たくさんの人で溢れていました。公園内には桜に関する資料を展示する桜資料館がありました。公園の外れには松前藩屋敷があります。松前藩の奉行所の再現や、旅篭、髪結い屋、漁師の家、松前藩の武士の家など、なかには煎餅を焼く実演などもやっていました。