吉野ヶ里遺跡は日本に稲作が始まった時代、東脊振の丘陵に造られた大規模な環濠集落の跡で、発掘された住居跡や北九州独特の甕棺墳墓が当時のままに再現されています。魏志倭人伝に伝えられた卑弥呼が治めた邪馬台国の候補の一つに名を連ねるところでもあります。
また吉野ケ里遺跡は土塁や逆茂木、見晴台を供えた環濠集落であるをことから日本百名城の一つに数えられています。
しかし最近の発掘などによると奈良県桜井市の纒向遺跡で3世紀前半としては国内最大級の建造物跡が発見され、邪馬台国畿内説を裏連けるものとして注目を浴びています。邪馬台国の所在地の論議は別にしても、弥生時代を垣間見ることのできる遺跡が目の前に広がっているのは事実です。
掘りと柵を巡らせた集落の中には竪穴式の住居や高床式の穀物倉庫など、その北には国の王が祭祀を執り行ったとされる主祭殿を中心とした環濠があります。主祭殿の中に入ると当時の祭礼の様子が再現されていました。
さらにその北には死者を弔った甕棺墳墓群や王の墳丘墓など。まさにこの一帯は弥生時代に暮した人々の息遣いが今も聞こえてくる所のようです。