府内城(大分城、荷揚城、白雉城) 


 城郭の構造:梯郭式平城
 築城の時期:1597年、福原直高
 廃城の時期:1872年
 主な城主:竹中氏、大給松平氏
 所在地:大分県大分市荷揚町4
 訪問日:2009年12月20日

 

府内城は大分市街の中心に築かれた平城です。関ヶ原の戦いで改易となった福原直高が築いた府内城は、竹中重利により完成されました。

江戸時代には府内藩の藩庁がおかれたところです。現在の城跡は大分城址公園となっていました。

堀の脇には大分県道路原標
大手門までは舗装道路が続きます

大きな文化会館の脇には天守閣跡の石垣が残っています。その上にはなぜか三角点がおかれていました。天守閣跡に登ると目の前に本丸の庭園、その先には隅櫓があります。

天守閣の石垣
天守閣の石垣
天守閣跡に登ると本丸の庭園
本丸の先には隅櫓

 

 

関連記録・コース

 関ヶ原の戦

慶長5年(1600年)関ヶ原で石田三成らの西軍と徳川家康らの東軍とが天下を争った戦い。小早川秀秋の寝返りにより東軍が大勝した。石田三成らは処刑され豊臣秀頼は60万石の大名に転落した。これにより徳川氏の覇権が確立した。

 

 石田三成(いしだみつなり)

1560~1600年、安土桃山時代の武将。豊臣秀吉に重用され、五奉行の一人として太閤検地などに活躍。秀吉の死後、遺子秀頼を擁ようして徳川家康と対立、関ヶ原の戦いに敗れ京で斬首された。

 

 徳川家康(とくがわいえやす)東照大権現(とうしょうだいごんげん)

1543~1616年、江戸幕府初代将軍。松平広忠の長男。織田信長と結んで駿河を、豊臣秀吉と和して関東を支配。豊臣秀吉の死後石田三成関ヶ原の戦いに破り、慶長8年(1603年)征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。武家諸法度などを定めて幕政の基礎を築いた。

 

 豊臣秀頼(とよとみひでより)

1593~1615年、安土桃山・江戸前期の大名。大坂城主。豊臣秀吉の次男。徳川家康の将軍就任に伴い一大名となる。方広寺鐘銘事件を端に徳川家との間に大坂冬の陣を起こす。一旦講和するが大坂夏の陣に敗れた。

 

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