小谷城 


 城郭の構造:梯郭式山城
 築城の時期:1516年(永正13年)ころ、浅井亮政
 廃城の時期:1575年(天正3年)
 主な城主:浅井氏、羽柴秀吉
 所在地:滋賀県長浜市湖北町伊部
 訪問日:2007年5月13日

 

日本五大山城に数えられる浅井氏の山城です。浅井長政とお市の方の悲話はNHKの大河ドラマでも語られている所です。

姉川は北国街道が虎御前山と小谷山に囲まれた交通の要衝で、左手の小谷山に浅井氏の居城、小谷城がありました。織田信長と浅井・朝倉の連合軍が雌雄を争った姉川の戦いはこの周辺で繰り広げられたと言います。

小谷城址の案内図
番所跡

国道から道を左に折れると暗い林の中に小さな駐車場があります。ここから舗装された山道をしばらく登って行くと小谷城址にたどり着きました。

馬洗い池
馬洗池
首据石
赤尾屋敷跡

目の前の広場は番所跡、ここから登山道のような山道を登って行きます。石積みや土塁が残る廓が歴史の流れを語りかけてくれるようです。ひときわ広い広場は城の中枢があった御殿跡と石垣が残る本丸跡。更に登ると山王廓などが現れます。

墓碑が残る小谷城址
大広間跡
本丸の石積み
刀洗池
京極丸
暗い木立の中の小丸

織田信長の攻撃にあい落城した歴史のひと駒がこの場所で繰り広げられていたようです。

木立に包まれた山王丸
崩れかけた大石垣
崩れかけた石積みが残っています
小谷城址から眺める近江の田園

山王廓から小谷山の山頂へと道は続いているようですが、ここからはまだかなりの時間がかかりそうです。そろそろ日も暮れ始めているので、車を停めた駐車場に戻ることにしました。

 

関連記録・コース

 豊臣秀吉(とよとみひでよし)

1536~1598年、安土桃山時代の武将。織田信長に仕え戦功をたて羽柴秀吉と名のった。信長の死後、明智光秀柴田勝家を討ち、ついで四国・九州・関東・奥州を平定して天下を統一した。

天正13年(1585)関白、翌年太政大臣となり豊臣を賜姓。検地・刀狩りなどを行い兵農分離を促進した。明国征服を志して朝鮮に出兵したが戦局半ばで病没。茶の湯などの活動も盛んで桃山文化を開花させた。

 

 浅井長政(あさいながまさ)

1545~1573年、戦国時代の武将。近江国小谷城主。織田信長の妹お市をめとり勢力を増したが、のち朝倉義景と結んで信長に敵対。1570年姉川の戦いに大敗し、1573年小谷城で自刃。

 

 織田信長(おだのぶなが)

1534~1582年、戦国・安土桃山時代の武将。織田信秀の子。桶狭間に今川義元を討って尾張一国を統一。京都に上って比叡山を焼き、浅井氏・朝倉氏を破り、将軍足利義昭(あしかがよしあき)を追放、武田勝頼を三河の長篠に破った。中国出陣の途中、京都本能寺で明智光秀の謀反にあった。

 

 姉川の戦(あねがわのたたかい)

1570年6月、姉川流域で、織田信長・徳川家康の連合軍が浅井長政朝倉義景の連合軍を破った戦い。

 

 織田信長(おだのぶなが)

1534~1582年、戦国・安土桃山時代の武将。織田信秀の子。桶狭間に今川義元を討って尾張一国を統一。京都に上って比叡山を焼き、浅井氏・朝倉氏を破り、将軍足利義昭(あしかがよしあき)を追放、武田勝頼を三河の長篠に破った。中国出陣の途中、京都本能寺で明智光秀の謀反にあった。

 

 豊臣秀吉(とよとみひでよし)

1536~1598年、安土桃山時代の武将。織田信長に仕え戦功をたて羽柴秀吉と名のった。信長の死後、明智光秀柴田勝家を討ち、ついで四国・九州・関東・奥州を平定して天下を統一した。

天正13年(1585)関白、翌年太政大臣となり豊臣を賜姓。検地・刀狩りなどを行い兵農分離を促進した。明国征服を志して朝鮮に出兵したが戦局半ばで病没。茶の湯などの活動も盛んで桃山文化を開花させた。

 

 明智光秀(あけちみつひで)

1528~1582年、戦国・安土桃山時代の武将。美濃の生まれ。織田信長に重用されたが、1582年6月2日、京都本能寺に信長を襲い自害させた。山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れ逃走中土民に殺された。

 

 柴田勝家(しばたかついえ)

1522~1583年、安土桃山時代の武将。織田信長の臣。越前北ノ庄に拠って北陸を支配。本能寺の変後、豊臣秀吉と対立、賤ヶ岳の戦いに敗れ北ノ庄で自害した。

 

 織田信長(おだのぶなが)

1534~1582年、戦国・安土桃山時代の武将。織田信秀の子。桶狭間に今川義元を討って尾張一国を統一。京都に上って比叡山を焼き、浅井氏・朝倉氏を破り、将軍足利義昭(あしかがよしあき)を追放、武田勝頼を三河の長篠に破った。中国出陣の途中、京都本能寺で明智光秀の謀反にあった。

 

 朝倉義景(あさくらよしかげ)

1533~1573年、戦国大名。織田信長としばしば交戦、姉川の戦いで大敗。のち信長に一乗谷を攻撃されて自殺、朝倉氏は滅亡した。

 

 姉川の戦(あねがわのたたかい)

1570年6月、姉川流域で、織田信長・徳川家康の連合軍が浅井長政朝倉義景の連合軍を破った戦い。

 

 武田勝頼(たけだかつより)

1546~1582年、戦国時代の武将。武田信玄の子。信玄没後家督を継ぎ美濃・遠江・三河に進出したが、長篠の戦いに大敗。以後衰運をたどり織田・徳川軍に追い詰められ天目山麓で自刃、武田氏は滅亡した。

 

 明智光秀(あけちみつひで)

1528~1582年、戦国・安土桃山時代の武将。美濃の生まれ。織田信長に重用されたが、1582年6月2日、京都本能寺に信長を襲い自害させた。山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れ逃走中土民に殺された。

 

 浅井長政(あさいながまさ)

1545~1573年、戦国時代の武将。近江国小谷城主。織田信長の妹お市をめとり勢力を増したが、のち朝倉義景と結んで信長に敵対。1570年姉川の戦いに大敗し、1573年小谷城で自刃。

 

 朝倉義景(あさくらよしかげ)

1533~1573年、戦国大名。織田信長としばしば交戦、姉川の戦いで大敗。のち信長に一乗谷を攻撃されて自殺、朝倉氏は滅亡した。

 

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