大きな門から城址の中に入るとそこは二ノ丸の庭園。公園は閑散として朝の掃除をする人が箒の音を立てていました。
郡山城は筒井順慶の居城として築城が始まった城で、その後は豊臣秀長の居城として本格的な築城が行われたと言います。その後城主は代わり柳沢氏が最後の城主として明治維新を迎えました。
庭園の外れには柳沢文庫の資料館が開いていました。柳沢氏をはじめとする歴史的資料や地域資料を集めたところです。
狭い石橋で堀を渡ると柳沢神社です。天主閣跡は神社の裏手です。本丸の北側には小さな地蔵尊が並んでいました。この城を築城するにあたって石が不足したことから、寺社の礎石や石像までが石材として利用されたようです。説明版にあった逆さ地蔵もそうした石像の一つです。
1541~1591年、安土桃山時代の武将。豊臣秀吉の異父弟。秀吉に従って軍功をたて大和郡山城主となった。温和な性格が衆望を集めよく秀吉の天下統一を補佐した。
1536~1598年、安土桃山時代の武将。織田信長に仕え戦功をたて羽柴秀吉と名のった。信長の死後、明智光秀・柴田勝家を討ち、ついで四国・九州・関東・奥州を平定して天下を統一した。
天正13年(1585)関白、翌年太政大臣となり豊臣を賜姓。検地・刀狩りなどを行い兵農分離を促進した。明国征服を志して朝鮮に出兵したが戦局半ばで病没。茶の湯などの活動も盛んで桃山文化を開花させた。