興福寺は藤原氏の氏寺です。南円堂は興福寺の堂の一つで藤原冬嗣が建立したと言います。
平日にもかかわらずたくさんの観光客で賑わう興福寺の境内をしばらく進むと、朱塗りの柱がよく目立つ南円堂です。南円堂は日本で最も大きい八角円堂です。ちょうどの国宝特別拝観の最中と言うことで、北堂の内部も拝観することができました。
その次に訪れたのが仮金堂。金堂は解体修理の最中と言うことで、金堂に安置されていた仏像も仮金堂に安置されていました。
国宝館には日本史の教科書でも記憶にある阿修羅像を始め釈迦像や観音像が展示されていました。平板に掘られた仏像は因達羅大将や迷企羅大将など、始めて見る仏像もあります。
最後に訪れたのは三重ノ塔です。若い係りの人が三重ノ塔の説明をしてくれました。堂内にはたくさんの仏像が壁にかかれています。かなり劣化が進んでいるようで、白いカビのようと言っていましたが、顔や姿はよく判らないようです。
帰り道には猿沢ノ池をまわってきました。ここから見る五重塔は興福寺の観光ポスターでもお馴染みのアングルです。
仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。
はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。
世の人々の音声を観じてその苦悩から救済する菩薩。人々の姿に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となるといいその姿は六観音・三十三観音などに表される。勢至菩薩とともに阿弥陀仏の脇侍となる。化仏のついた宝冠をかぶり、天衣、裙(くん)を着け、瓔珞、鐶釧(かんせん)で身を飾り蓮華を手にして蓮華座の上に立像または坐像の姿で表現される。
六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。
大乗仏教の仏。西方の極楽浄土の教主で生あるものすべてをすくう仏様。念仏により浄土に往生できるという阿弥陀信仰が鎌倉時代にさかんになり、浄土宗、浄土真宗、時宗などの浄土教宗派が成立した。
阿弥陀如来像は質素な形で如来の通相と呼ばれる姿をしています。小指を除く三指と親指で輪にした九品来迎印(くぼんらいごういん)を結んでいるのが特徴です。