施福寺は欽明天皇の勅願寺、550年頃の創建と伝えられる古いお寺です。役ノ小角、行基菩薩などの山岳修行の道場で、弘法大師が勤操大徳について出家得度した寺として知られています。
土産物屋の脇の駐車場に車を停め、長い参道を歩き始めます。しばらく登ると古びた仁王門。ここはまだ6合目とか。我々は途中の駐車場まで車で登ってきましたが、下から登るとかなりの距離がありそうです。
やがて参道が石段に変わって来ると勾配も急になります。この寺は弘法大師が剃髪した寺です。参道の右手には弘法大師剃髪所跡と言う小さな庵も建っています。
たどり着いた本堂は小広い広場の一角に建っています。輪袈裟においづるを纏った巡礼の一行が本堂で読経を上げていました。
本堂に参拝の後、展望台に立ち寄りました。目の前に岩湧山や葛城山が見えると言います。土産物屋の傍には荷揚げ用のゴンドラがありました。はるか下からロープが張っていますが、このような山の上での生活はなかなか大変なのでしょう。
法華経を根本経典とする大乗仏教の一派。575年隋の智顗(ちぎ)が天台山にこもって大成。日本へは奈良時代に唐僧鑑真(がんじん)が初めて伝え、平安初期に最澄が比叡山に延暦寺を建て開宗。のち山門派と寺門派、さらに真盛(しんぜい)派に分かれた。
第29代天皇(在位:539年12月5日~571年4月)継体天皇の皇子。磯城島金刺宮(しきしまのかなさしのみや)を都とした。在位中に仏教が伝来。また、任那みまなの日本府が滅亡した。陵墓は奈良県高市郡明日香村平田の檜隈坂合陵。
7世紀末に大和葛木山にいたという呪術者。修験道の開祖と仰がれ,神変大菩薩の勅諡号を受けた。秩序を乱したので699年に伊豆に流された。山岳信仰と密教とが合流するようになって修験者の理想像とされ、その足跡を伝える説話は多く伝えられている。
奈良時代の僧、668~749年。百済系の渡来人。法相宗を学び諸国を巡って布教た。民衆とともに道路・堤防・橋や寺院の建設にあたったが僧尼令違反として禁止された。後に聖武天皇の帰依を受け、東大寺・国分寺建立に協力。日本最初の大僧正の位を授けられた。
平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。
中国、唐代の高僧。日本律宗の開祖。揚州大明(たいめい)寺で戒律を講じ名声があった。742年日本僧栄叡(ようえい)らの請に応じて来日を志したが海賊や風波の災で5度挫折の後、754年渡来した。
六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。
第45代天皇(在位:724年2月4日~749年7月2日)文武天皇の第一皇子。光明皇后とともに仏教を厚く信仰。全国に国分寺・国分尼寺を置き東大寺を建立して大仏を造立した。陵墓は奈良県奈良市法蓮町の佐保山南陵。