清水寺(播州清水寺) 


 寺社の種類:天台宗の寺院
 山号:御嶽山
 創建の時期:景行天皇時代(71年-130年)、開基:法道仙人と伝えられる
 本尊:十一面観音(秘仏)
 札所:西国三十三観音16番
 所在地:兵庫県加東市平木1194
 訪問日:2006年11月9日

 

京都の音羽山清水寺と区別するため播州清水寺とも呼ばれる天台宗のの古刹です。創建と伝えられる法道仙人は天竺から紫の雲に乗って日本へ渡来したとされる伝説上の人物です。

清水寺の駐車場までは広い清水寺登山道路を登っていきます。広い駐車場の前には御嶽山の扁額がかかる仁王門が建っています。恐ろしげな顔をした仁王像を見上げながら参道を進むと、スピーカーから読経の声が聞こえてきます。

朱塗りの仁王門
朱塗りの仁王門
仁王像
仁王像

大講堂の中には金色に輝く十一面千手観世音菩薩。仏前で参拝した後、境内を散策することにします。今この境内は赤く色付いた紅葉に彩られています。

ご詠歌を掲げる大講堂
大講堂
本尊は観世音菩薩
大きな灯篭の先に大講堂
大講堂の紅葉
大講堂の脇に宝篋印塔
大講堂の紅葉
大講堂の紅葉

境内にはたくさんの石の地蔵尊が安置された地蔵堂があります。

境内の僧坊か
大輪の菊を飾る本坊
境内の紅葉
境内の紅葉
菩薩堂の地蔵菩薩
大きな鐘楼

大講堂から階段を登っていくと根本中堂があります。この中に安置されている本尊は秘仏という十一面観音です。

石段を登って行くと根本中堂
根本中堂
根本中堂の前立ち観音
根本中堂には秘仏の十一面観音
根本中堂の扁額
暗い林の中にはおかげの井戸

根本中堂から暗い杉林の中を進んでいくと「おかげの井戸」という小さな小屋掛けの井戸があります。この井戸を覗き込んで自分の顔が写ったら3年寿命が延びるとか。

石段の上は大塔跡
大きな石の上に宝篋印塔

さらに暗い杉林の中を登っていくと平清盛の生母、祇園女御が建てたという大塔跡がありました。ここも古い歴史が息づいているお寺です。

関連記録・コース

 天台宗(てんだいしゅう)

法華経を根本経典とする大乗仏教の一派。575年隋の智顗(ちぎ)が天台山にこもって大成。日本へは奈良時代に唐僧鑑真(がんじん)が初めて伝え、平安初期に最澄が比叡山に延暦寺を建て開宗。のち山門派と寺門派、さらに真盛(しんぜい)派に分かれた。

 

 十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)

六道を教化する六観音の一つ。11の顔と2臂または4臂をもった姿の観音。

 

 西国三十三観音霊場・西国三十三ヶ所

近畿地方を中心に散在する33ケ所の観音霊場。花山法皇の巡礼を創始とすると伝えられる。室町時代から民間人の参拝が増え、江戸時代に盛んとなった。

 

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 平清盛(たいらのきよもり)

1118~1181年、平安末期の武将。平忠盛の長男。白河法皇の落胤とも伝えられる。父の地位と遺産を受け継いで政界に進出。保元の乱平治の乱により対立勢力を一掃、従一位太政大臣となる。娘徳子を高倉天皇に入内させ官職を一門で独占、知行三十余国に及ぶ平氏政権を樹立した。

 

 鑑真(がんじん)・過海大師・唐大和上(とうだいわじょう)

中国、唐代の高僧。日本律宗の開祖。揚州大明(たいめい)寺で戒律を講じ名声があった。742年日本僧栄叡(ようえい)らの請に応じて来日を志したが海賊や風波の災で5度挫折の後、754年渡来した。

 

 最澄(さいちょう)・伝教大師

平安初期の僧。767~822年。天台宗の開祖。比叡山に入り根本中堂を建立。延暦23年(804年)空海とともに入唐し翌年帰国した。

 

 六観音(ろくかんのん)

六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。

 

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六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。

 

 平忠盛(たいたのただもり)

1096~1153年、平安時代後期の武将。平正盛の子。白河上皇・鳥羽上皇に仕える。長承元年得長寿院をつくった功により内昇殿をゆるされた。また山陽・南海両道の海賊を鎮圧、日宋貿易にも関係して平家繁栄の基礎を築いた。

 

 保元の乱(ほげんのらん)

保元元年(1156年)京都に勃発した内乱。皇位継承に関する崇徳上皇と後白河天皇との対立に、摂関家の藤原頼長と忠通との家督争いが結びつき、上皇・頼長側は源為義・平忠正、後白河・忠通側は源義朝・平清盛らの武士団を招じ入れて戦い上皇方が敗北した。上皇は讃岐に流され、頼長は戦傷死した。この乱はのちの武家政権成立への端緒をなした。

 

 平治の乱(へいじのらん)

保元の乱(ほげんのらん)の後、平治1年(1159年)12月、京都に勃発した内乱。後白河上皇の近臣間の暗闘が源平武士団の対立に結びつき、藤原信頼・源義朝による上皇幽閉、藤原通憲(信西)殺害という事件に発展した。しかし平清盛の計略によって上皇は脱出し、激しい合戦のすえ源氏方は敗北した。これ以後、平氏の政権が成立した。

 

 高倉天皇(たかくらてんのう)

第80代天皇(在位:1168年2月19日~1180年2月21日)後白河天皇第7皇子。在位中は平清盛の隆盛時にあたりその娘徳子を中宮とした。陵墓は京都府京都市東山区清閑寺歌ノ中山町の後清閑寺陵。

 

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