元慶寺は西国三十三観音霊場の復興に尽力した花山天皇が出家したことから花山寺とも呼ばれるお寺です。
竜宮造りの山門をくぐると緑色に包まれた小さな庭園が広がっていました。
またこの寺の開基と言う僧正遍昭は六歌仙の一人で百人一首の「天津風雲の通い路吹きとじよ乙女の姿しばしとどめん」で知られています。
法華経を根本経典とする大乗仏教の一派。575年隋の智顗(ちぎ)が天台山にこもって大成。日本へは奈良時代に唐僧鑑真(がんじん)が初めて伝え、平安初期に最澄が比叡山に延暦寺を建て開宗。のち山門派と寺門派、さらに真盛(しんぜい)派に分かれた。
東方浄瑠璃世界の教主。人々の病患を救うとともに悟りに導くことを誓った仏で医薬の仏として信仰される。右手に施無畏印(せむいいん)を結び、左手に薬壺(やっこ)を持つ。脇侍に日光菩薩と月光菩薩、眷属として十二神将が配される。
第65代天皇(在位:984年8月27日~986年6月23日)冷泉天皇の第1皇子。986年皇太子懐仁(やすひと)親王の即位を急ぐ外祖父藤原兼家らの陰謀により花山寺で出家した。陵墓は京都府京都市北区衣笠北高橋町の紙屋川上陵。
中国、唐代の高僧。日本律宗の開祖。揚州大明(たいめい)寺で戒律を講じ名声があった。742年日本僧栄叡(ようえい)らの請に応じて来日を志したが海賊や風波の災で5度挫折の後、754年渡来した。