長谷寺 


 寺社の種類:真言宗豊山派のお寺(総本山)
 山号:豊山(ぶさん)
 創建の時期:朱鳥元年(686年)、開基:道明
 札所:西国三十三観音8番
 所在地:所在地:奈良県桜井市初瀬731-1
 訪問日:2006年10月18日

 

長谷寺は真言宗豊山派の総本山で、花の寺として知られるところです。

参道を清掃している人に挨拶をしながら石段を登って行くと大きな山門がそびえています。ここからはこの寺の名物の一つ長い回廊が続いています。この回廊沿いには牡丹が植えられており、花の時期はたくさんの観光客で賑わうところです。

参道はまだ人影もありません
仁王像に導かれながら石段を登っていきます

途中にはこの寺の開祖道明上人の石塔などが建っています。しばらく登ったところに紀貫之の「人はいざ心も知らずふるさとは、花ぞ昔の香ににおいける」に因んだ梅の木がありました。

さらに回廊を登って行くと本堂の前にたどり着きました。10月からの納経は9時から、しばらく待つと若い女の人が納経を受け付けてくれました。作務衣に着替えるまでは参拝に来たギャルといった感じです。

参道の石段には開祖道明上人の小さな石塔
石段が続く回廊を登っていきます
紀貫之ゆかりの梅には百人一首が
回廊を登って行くと本堂です

国宝に指定されている本堂は大悲閣の扁額を掲げる大きな建物です。本尊の大きな千手観音は40本の手を持ち、その各々が25の悩みを救ってくれるとか。右手に錫杖を持った珍しい千手観音です。

本堂の前には鐘楼
鐘楼
花の時期にはボタンの花が
石段の上に愛染明王堂
牛王の護符が供えられる愛染明王
本堂
本堂と回廊
大悲閣の扁額を掲げる本道
本尊は40本の手をもつ千手観音
本堂から眺める鐘楼

本堂の前からは長谷寺の境内を一望することができます。目の前にそびえる大きな杉の木は天狗杉とか。紅葉が始めるとまたいっそう見応えがある景色となるでしょう。

本堂からは境内を一望できます
弘法大師像が安置される大師堂
裏参道には五重ノ塔が建っています
裏参道から眺める仁王門

 

関連記録・コース

 真言宗豊山派(しんごんしゅうふざんは)

真言宗の新義真言の一派。総本山は奈良桜井市の長谷寺。真言宗智山派と同じく覚鑁(かくばん)を開祖とする。織田信長のため根来寺を追われた専誉(せんよ)が一派を形成した。

 

 十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)

六道を教化する六観音の一つ。11の顔と2臂または4臂をもった姿の観音。

 

 西国三十三観音霊場・西国三十三ヶ所

近畿地方を中心に散在する33ケ所の観音霊場。花山法皇の巡礼を創始とすると伝えられる。室町時代から民間人の参拝が増え、江戸時代に盛んとなった。

 

 真言宗豊山派(しんごんしゅうふざんは)

真言宗の新義真言の一派。総本山は奈良桜井市の長谷寺。真言宗智山派と同じく覚鑁(かくばん)を開祖とする。織田信長のため根来寺を追われた専誉(せんよ)が一派を形成した。

 

 紀貫之(きのつらゆき)

866?~945?年、平安前期の歌人・歌学者。三十六歌仙の一人。官位・官職に関しては不遇であったが歌は当代の第一人者で古今和歌集の撰者の一人。

 

 千手観音(せんじゅかんのん)・千手千眼観自在菩薩

六観音の一つ。限りない慈悲を表す菩薩で、千の慈悲の眼と千の慈悲の手をそなえ、生ある者を救うという。二七面四二臂の像が一般的。千手千眼観世音。千眼千臂観世音。

 

 真言宗智山派(しんごんしゅうちざんは)

真言宗の新義真言の一派。宗祖覚鑁(かくばん)は真言宗の教義に念仏を加味し、高野山の大伝法院にあって布教に努めた。その教勢が高野本山をしのいだため紛争を生じ1140年円明寺を開いて分立した。

 

 覚鑁(かくばん)・興教大師

平安後期の真言宗の僧(1095~1144年)高野山に大伝法院、密厳院などを建立し、金剛峰寺とともに座主を兼ねたが一山の反対にあい根来に移った。新義真言宗の開祖、伝法院流の祖。

 

 専誉(せんよ)

真言宗豊山派の祖。紀伊根来寺の玄誉(げんよ)、頼玄(らいげん)に師事。天正13年豊臣秀吉の根来攻めにあい高野山にのがれる。15年豊臣秀長にまねかれ大和長谷寺にはいりった。

 

 六観音(ろくかんのん)

六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。

 

 真言宗智山派(しんごんしゅうちざんは)

真言宗の新義真言の一派。宗祖覚鑁(かくばん)は真言宗の教義に念仏を加味し、高野山の大伝法院にあって布教に努めた。その教勢が高野本山をしのいだため紛争を生じ1140年円明寺を開いて分立した。

 

 覚鑁(かくばん)・興教大師

平安後期の真言宗の僧(1095~1144年)高野山に大伝法院、密厳院などを建立し、金剛峰寺とともに座主を兼ねたが一山の反対にあい根来に移った。新義真言宗の開祖、伝法院流の祖。

 

 専誉(せんよ)

真言宗豊山派の祖。紀伊根来寺の玄誉(げんよ)、頼玄(らいげん)に師事。天正13年豊臣秀吉の根来攻めにあい高野山にのがれる。15年豊臣秀長にまねかれ大和長谷寺にはいりった。

 

 六観音(ろくかんのん)

六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。

 

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