谷汲山華厳寺は西国三十三観音霊場、満願の寺です。西国観音霊場の中では近畿以外にある唯一のお寺です。
参道の両側にはたくさんの奉納灯籠。しばらく参道を進むと左右に塔頭が建っていました。
急な階段を登ると古びた本堂が建っていました。ここは満願の寺と言うこともあり、朝からたくさんの参拝客が訪れています。
団体の世話をしているのか、たくさんの掛け軸を持った中年の人が忙しく納経をしていました。納経を受け付けている僧侶も3人、かなり忙しそうです。仏前の経机にはたくさんの写経が積まれていました。
ここでは戒壇くぐりが出来ると言います。さっそく中に入ると真っ暗。途中までは手すりがあるものの、しばらくすると真っ暗の中を壁伝いに進まなければなりません。後ろから入ってきた中年の小母さんはかなり大きな声で騒いでいました。おそらく地獄の世界とそれからの再生を体感させるのでしょう。
本堂に裏手には水かけ観音、その左手にはおいずる堂があります。観音巡礼のおいづる、菅笠や納経帳、それと写経などを納めるお堂のようで、正面の観音像がうずもれるほど積み重ねられていました。
その左手には子育て観音。さらにその奥には満願堂がありました。満願の石灯籠とその手前に大きな腹を出した狸の石像。華厳寺と狸は何か関係があるのでしょうか。
ここからは右に登って行く道は奥ノ院へと続く道です。松の木の根が道に張り出した山道を登って行くと道の左右には三十三観音霊場に因んだの小さな祠が建っています。
祠の数を数えながら山道のような急な登りに汗を流します。この道は自然歩道の一部のようですが歩く人も少ないようです。急な登りに息を切らせると赤い屋根の奥ノ院にたどり着きました。
法華経を根本経典とする大乗仏教の一派。575年隋の智顗(ちぎ)が天台山にこもって大成。日本へは奈良時代に唐僧鑑真(がんじん)が初めて伝え、平安初期に最澄が比叡山に延暦寺を建て開宗。のち山門派と寺門派、さらに真盛(しんぜい)派に分かれた。
中国、唐代の高僧。日本律宗の開祖。揚州大明(たいめい)寺で戒律を講じ名声があった。742年日本僧栄叡(ようえい)らの請に応じて来日を志したが海賊や風波の災で5度挫折の後、754年渡来した。
六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。