園城寺(三井寺) 


 寺社の種類:天台寺門宗のお寺(総本山)
 山号:長等山(ながらさん)
 創建の時期:7世紀、開基:大友与多王
 本尊:弥勒菩薩
 札所:西国三十三観音14番
 所在地:滋賀県大津市園城寺町246
 訪問日:2006年10月22日

 

園城寺は琵琶湖を見下ろす長等山の山麓に位置する古刹で、延暦寺との宗教上の対立や南北朝の騒乱による焼き討ちなど苦難の歴史を刻んだお寺です。

たどり着いた早朝の駐車場には人影も多くありません。参道を掃き清めている人に挨拶をしながら三井寺の納経所である観音堂に向かいます。

観音堂へ向かう参道
参道には十八明神社の小さな社も建っています
三井寺観音堂の石碑
百体観音堂には坂東、西国、秩父霊場の本尊

急な石段を登って行くとびわ湖を見下ろす広場の一角に本堂が建っています。本堂脇に建つ百体観音堂には西国三十三観音霊場と、秩父坂東の観音霊場の観音像が安置されていました。

観音堂に掲げられる奉納額
観月舞台
観音堂
観音堂
奉納額が掲げられる観音堂
歴史の古さを感じさせる観音堂
観音堂
観音堂脇の鐘楼
見上げる梵鐘
大津そろばんの記念碑

納経を済ませた後、三井寺の境内を見て行くことにします。観音堂裏手の丘の上には大津そろばんの石碑が建っています。大津は全国でも有数のそろばんの産地であったと言います。ここからは朝日を浴びた比叡山を一望することができました。

境内から見下ろす琵琶湖
大比叡の頂も見えます
三井寺の別院、微妙寺
石灯籠が並ぶ唐院への参道

ここからは三井寺の裏手を通り、本堂へと向かいます。最初に現れたのは開祖智證大師の霊廟、石塔が続く参道を登り小さな四脚門をくぐると目の前に桧皮葺の廟が建っています。ここは拝観できないようで竹の柵がありました。

四脚門を入ると智証大師の廟所
唐院の大師堂
唐院の潅頂堂
木立の中にそびえる三重ノ塔
木立の中にそびえる三重ノ塔
唐院には潅頂堂と大師堂

霊廟の隣には三重ノ塔がそびえていました。さらにその隣には一切経堂が建っていました。経堂の中には八角輪蔵に一切経の経典が収められています。かなり古い物のようで、経典は白くカビが生えているものもあります。

八角輪蔵が収められた一切経蔵
一切経を収めた八角輪蔵
弁慶の引き釣り鐘が収められた霊鐘堂
弁慶が引きずったという引き釣り鐘

この隣には弁慶の引きずり鐘と朽ちかけた弁慶の汁鍋が納められたお堂があります。弁慶の引きずり鐘は三井寺と比叡山の抗争の歴史を伝える話しです。比叡山の僧兵であった弁慶が三井寺との抗争でこの鐘を奪ったとか、比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると イノー、イノー(関西弁で帰りたい)と響いたので怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったとか。三井寺と比叡山の抗争は歴史の教科書にも書かれていた記憶が残っています。

かなり朽ちている弁慶の汁鍋
梁の上には左甚五郎の龍
水が湧き出る閼伽井(あかい)
日本の音風景百選に選ばれた三井梵鐘

三井寺の本堂は白いキャンバスに包まれ修理中です。本堂の脇にはガイドブックなどにも紹介されている閼伽井(あかい)がありました。ゴボゴボと湧き出している泉のようですが暗くてよく見えませんでした。

また本堂の前には三井晩鐘と呼ばれる梵鐘があります。日本の音風景百選に認定された梵鐘で、参拝者が撞く音が風に乗ってあたりに響いていました。

「三井寺の 門たたかばや 今日の月」は芭蕉の句
釈迦堂
釈迦堂に祀られた釈迦如来像
古びた山門

 

関連記録・コース

 弥勒菩薩(みろくぼさつ)

釈迦の入滅から56億7000万年後の未来の世に仏となってこの世にくだり、衆生を救済するという菩薩

 

 西国三十三観音霊場・西国三十三ヶ所

近畿地方を中心に散在する33ケ所の観音霊場。花山法皇の巡礼を創始とすると伝えられる。室町時代から民間人の参拝が増え、江戸時代に盛んとなった。

 

 西国三十三観音霊場・西国三十三ヶ所

近畿地方を中心に散在する33ケ所の観音霊場。花山法皇の巡礼を創始とすると伝えられる。室町時代から民間人の参拝が増え、江戸時代に盛んとなった。

 

 秩父三十三観音霊場・秩父三十三ケ所

秩父地方にある三十三ヶ所の観音の霊場。実際は三十四ヶ所あり西国三十三観音霊場坂東三十三観音霊場と合わせて日本百観音霊場とした。

 

 坂東三十三観音霊場・坂東三十三ヶ所

源頼朝によって発願され、源実朝が西国の霊場を模範として制定したと伝えられてる33ヶ所の観音霊場。神奈川・埼玉・東京・群馬・栃木・茨城・千葉にかけてある札所を巡拝すると1,300キロメートルになると言う。

 

 知証大師(ちしょうだいし)円珍(えんちん)

814~891年、平安前・中期、天台宗寺門派の開祖。天台座主。母は空海の姪という。853~858年唐で修学。帰朝後、延暦寺別院として園城寺(おんじようじ)を再興。台密を完成させた。

 

 三重の塔(さんじゅうのとう)

層数の最も少ない仏塔。日本では五重塔と並んで木造仏塔では最も一般的である。現存最古の遺構は奈良の法起寺のもので飛鳥時代の作。

 

 釈迦(しゃか)釈迦如来(しゃかにょらい)

仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。

はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。

 

 西国三十三観音霊場・西国三十三ヶ所

近畿地方を中心に散在する33ケ所の観音霊場。花山法皇の巡礼を創始とすると伝えられる。室町時代から民間人の参拝が増え、江戸時代に盛んとなった。

 

 坂東三十三観音霊場・坂東三十三ヶ所

源頼朝によって発願され、源実朝が西国の霊場を模範として制定したと伝えられてる33ヶ所の観音霊場。神奈川・埼玉・東京・群馬・栃木・茨城・千葉にかけてある札所を巡拝すると1,300キロメートルになると言う。

 

 源頼朝(みなもとよりとも)

1147~1199年 鎌倉幕府初代将軍。義朝の三男。平治の乱のち伊豆蛭ヶ小島に配流される。1180年以仁王もちひとおうの平氏追討の令旨に応じ挙兵。石橋山の戦いに敗れ安房に逃げたが東国武士の来援を得て関東を制し鎌倉にはいって根拠地とした。平維盛の追討軍を富士川に破り弟の範頼・義経を西上させ、85年壇ノ浦で平氏を討滅し全国を平定。全国に守護・地頭を設置、武家政治の基礎を確立。

 

 源実朝(みなみとさねとも)

1192~1219年、鎌倉幕府三代将軍。源頼朝の二男。1203年将軍となるが実権は北条氏が握った。鶴岡八幡宮社頭で甥の公暁に暗殺され頼朝直系の子孫は断絶した。

 

 空海(くうかい)弘法大師(こうぼうだいし)

平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。

 

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