瀬田川の川岸に建つ石山寺は近江八景の一つ、石山秋月で知られるお寺です。また源氏物語の紫式部ゆかりのお寺で源氏物語の構想は石山寺参拝のとき得られたものと言われています。
大きな駐車場は観光バスを始めたくさんの車であふれています。参道には大きな仁王門が建っていました。東大寺の仁王門などに比べ顔の表情はかなり違うように感じられます。
参道の右側の池には大きな石の下をくぐる胎内くぐりがあります。腰をかがめて石の下をくぐりましたが、結構腰が辛いものです。
本堂の右手には西国三十三観音霊場の観音像が祭られています。何故か観音像の前には紅白の麩が供えられていました。
本堂の手前には石山寺名物の一つである大きな岩がそびえています。火山の熱で岩が変性した珪灰石という岩隗と言います。またこの寺は年中花が咲く寺としても知られています。花の少ないこの季節、岩の前には秋明菊が赤紫の花を付けていました。
左手の石段を登ると本堂です。本尊は如意輪観音。観音像の手からは細い綱が延びこれに触れることができるようになっています。これは秩父の観音霊場の一斉開帳でも記憶にあるものです。
本堂脇の源氏の間には紫式部の木像がありました。源氏物語はこの寺で執筆したのでしょうか。
本堂からは裏手に広がる庭園を見て行くことにします。しばらく登った広場にはびわ湖を見下ろす観月台があります。ここは近江八景に石山の秋月として選ばれたところです。昔の人はこの台の上に登り月を眺め景色を楽しんだのでしょう。
ここからは庭園の中を散策しました。現在も整備が進んでいるのでしょうが、寺社の庭園と言うよりは何処かの公園といったところです。しばらく下った日本庭園にも立ち寄りましたが今年の紅葉は今ひとつ。花の時期にはアヤメや桜などに彩られる庭園も今ひとつの感じです。
真言宗系の宗派の一つである。昭和38年(1963年)教王護国寺と真言宗東寺派が分裂した時に教王護国寺を中心に活動しようとする寺院が東寺真言宗として独立した。京都にある別格本山の正法寺を中心に活動している。
六観音または七観音の一つで如意宝珠と法輪の力によって生きとし生けるものを救済するという。延寿、安産、除難の功徳があるとされている。普通は6臂の像で、座像は輪王座。右の第一手は必ず思惟(しゆい)手となるのが特徴。
六観音または七観音の一つで如意宝珠と法輪の力によって生きとし生けるものを救済するという。延寿、安産、除難の功徳があるとされている。普通は6臂の像で、座像は輪王座。右の第一手は必ず思惟(しゆい)手となるのが特徴。
六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。
炭酸カルシウムを主成分とする堆積岩。普通白色や灰色。貝殻・サンゴ・有孔虫などの生物遺体が堆積した生物岩と、化学的沈殿により形成された化学岩とがある。セメント・石灰などの原料、石材として利用される。
六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。
源頼朝によって発願され、源実朝が西国の霊場を模範として制定したと伝えられてる33ヶ所の観音霊場。神奈川・埼玉・東京・群馬・栃木・茨城・千葉にかけてある札所を巡拝すると1,300キロメートルになると言う。