興福寺 


 寺社の種類:法相宗の大本山
 創建の時期:天智天皇8年(669年)、藤原不比等
 本尊:釈迦如来
 札所:西国薬師霊場第4番札所、南都七大寺
 所在地:奈良県奈良市登大路町48
 訪問日:2009年2月22日

 

興福寺は薬師寺とともに法相宗の大本山です。また平城京周辺において朝廷の保護を受けた南都七大寺のひとつに数えられ寺院で、中臣鎌足を祖とする奈良時代、平安時代の豪族、藤原氏の氏寺です。

金堂

鹿が遊ぶ奈良公園の中に大きな興福寺の五重塔がそびえています。

興福寺で有名なのは国宝の阿修羅像、国宝館に入ると阿修羅像初めとする八部衆像、十大弟子像などを見ることができます。阿修羅像は歴史の教科書でもお馴染みです。この夏には東京でも展示されると言います。

金堂と五重塔
五重塔

 法相宗(ほっそうしゅう)

中国一三宗・南都六宗の一つ、日本へは653年道昭により初めて伝えられた。元興寺、興福寺を中心に奈良時代に盛んに行われた。現在の本山は興福寺と薬師寺。

 

 藤原不比等(ふじわらふひと)

659~720年、奈良初期の廷臣。右大臣。大宝律令の撰修に参加、養老律令を完成した。娘宮子を文武天皇の妃とし、光明子を聖武天皇の皇后とするなど、藤原氏繁栄の基礎を築いた。平城京遷都に際し興福寺を建立。

 

 釈迦(しゃか)釈迦如来(しゃかにょらい)

仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。

はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。

 

 法相宗(ほっそうしゅう)

中国一三宗・南都六宗の一つ、日本へは653年道昭により初めて伝えられた。元興寺、興福寺を中心に奈良時代に盛んに行われた。現在の本山は興福寺と薬師寺。

 

 平城京(へいじょうきょう)

奈良盆地北端、現在の奈良市西郊に唐の都長安に範をとって造営された都城。710年元明天皇藤原京から遷都。784年桓武天皇長岡京に遷都するまで、天平文化の中心地として繁栄した

 

 五重の塔(ごじゅうのとう)

5層建ての仏塔。古くは伽藍の中心的存在であったが7世紀末から双塔式伽藍ができやがて回廊外に置かれるようになる。外観は基壇、塔身、相輪からなる。中央に心柱または刹柱が独立しその上部が相輪となる。

 

 大宝律令(たいほうりつりょう)

日本古代の基本法典。701年(大宝1)制定。刑部(おさかべ)親王・藤原不比等らの撰。七世紀以来の諸制度の法的整備を示し国家の基本法となった。

 

 養老律令(ようろうりつりょう)

718年(養老2)藤原不比等らが、大宝律令を若干修正して編纂へんさんした律・令各一〇巻。757年より施行。

 

 文武天皇(もんむてんのう)

第42代天皇(在位:697年8月1日~707年6月15日)天武天皇・持統天皇の孫。草壁皇子の第一皇子。大宝律令を制定。万葉集、懐風藻に入集した。陵墓は奈良県高市郡明日香村栗原の檜隈安古岡上陵。

 

 聖武天皇(しょうむてんのう)

第45代天皇(在位:724年2月4日~749年7月2日)文武天皇の第一皇子。光明皇后とともに仏教を厚く信仰。全国に国分寺・国分尼寺を置き東大寺を建立して大仏を造立した。陵墓は奈良県奈良市法蓮町の佐保山南陵。

 

 平城京(へいじょうきょう)

奈良盆地北端、現在の奈良市西郊に唐の都長安に範をとって造営された都城。710年元明天皇藤原京から遷都。784年桓武天皇長岡京に遷都するまで、天平文化の中心地として繁栄した

 

 元明天皇(げんめいてんのう)

第43代天皇(在位:707年7月17日~715年9月2日)天智天皇の皇女。文武天皇・元正天皇の母。女帝。和同開珎鋳造、平城遷都や古事記、風土記の編纂が行われた。陵墓は奈良県奈良市奈良阪町の奈保山東陵。

 

 藤原京(ふじわらきょう)

飛鳥時代、持統天皇・文武天皇・元明天皇の都(694~710)。奈良県橿原市高殿を中心とする大和三山に囲まれた地域にある。中国式の条坊制を採用した日本最初の都城とされる。大極殿・朝堂院・官衙などの遺跡が発掘されている。

 

 桓武天皇(かんむてんのう)

第50代天皇(在位:781年4月3日~806年3月17日)光仁天皇の皇子。794年、都を平安京に遷した。坂上田村麻呂を征夷大将軍として東北地方に派遣するなど朝廷権力を大きく伸長した。陵墓は山城国紀伊郡柏原にあり柏原天皇とも呼ばれる。陵墓は京都府京都市伏見区桃山町永井久太郎の柏原陵。

 

 長岡京(ながおかきょう)

784年より10年間、現在の京都府向日市・長岡京市付近に置かれた古代の都。桓武天皇平城京からこの地に移ったが造都の中心人物藤原種継の暗殺など、不祥事件続発のため794年平安京に遷都。

 

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