西の比叡山と言われ西国三十三観音霊場最大の規模を誇る圓教寺はまた長い歴史の重みと静けさを感じさせてくれる古刹です。
書写山に登っていくロープウェイは4分ほどで標高371mの山頂に運んでくれます。振り返ると目の前には姫路の町並みが広がっているようですが、あいにくの靄に覆われあまりよく見えないようです。
山上駅からは長い参道を登っていきます。参道の両脇には三十三観音霊場の本尊にちなんだ仏像が祀られています。
仁王門をくぐると暗い杉林の参道が続いています。しばらく参道を進むと目の前に大きな舞台造りの摩尼殿が現れます。急な石段を登っていくと、京都の清水寺と同じような舞台を持った本堂です。
秘仏という本尊の如意輪観音は暗い本堂の中です。本堂の前で参拝した後、本堂の裏手をめぐる散策路を歩くことにしました。雑木林の中を緩やかに登っていく道は小さな白山権現社にたどり着きます。この社の裏が書写山の最高地点と言います。
書写山縁起によるとこの峰を准胝峰 (白山)と言い、素戔之鳴 (すさのお)が降臨されたところとか。性空上人か円教寺を開山する以前から素戔嗚尊を祀りスサノオの杣と呼んでいたようです。これから書写の名の由来といいます。でもこれと白蛇の関係は如何なのでしょうか。
白山権現から少し下ると性空上人を祭った開山堂や御法堂が建っています。ここから少し戻ると大きな広場に大講堂、食堂、常行堂の3つの堂が建ち並んでいます。ここは映画ラストサムライのロケ地とか。
境内の隅には展望台があります。天気のよい日には播磨灘をはさんで四国の山々も望むことができると言います。しかし生憎の霞みに包まれ姫路の市街地さえも霞んでいました。
法華経を根本経典とする大乗仏教の一派。575年隋の智顗(ちぎ)が天台山にこもって大成。日本へは奈良時代に唐僧鑑真(がんじん)が初めて伝え、平安初期に最澄が比叡山に延暦寺を建て開宗。のち山門派と寺門派、さらに真盛(しんぜい)派に分かれた。
六観音または七観音の一つで如意宝珠と法輪の力によって生きとし生けるものを救済するという。延寿、安産、除難の功徳があるとされている。普通は6臂の像で、座像は輪王座。右の第一手は必ず思惟(しゆい)手となるのが特徴。
六観音または七観音の一つで如意宝珠と法輪の力によって生きとし生けるものを救済するという。延寿、安産、除難の功徳があるとされている。普通は6臂の像で、座像は輪王座。右の第一手は必ず思惟(しゆい)手となるのが特徴。
中国、唐代の高僧。日本律宗の開祖。揚州大明(たいめい)寺で戒律を講じ名声があった。742年日本僧栄叡(ようえい)らの請に応じて来日を志したが海賊や風波の災で5度挫折の後、754年渡来した。
六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。
六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。