花山院は西国三十三観音霊場番外の寺です。この寺の創建は清水寺と同じ法道仙人、天竺から紫の雲に乗って日本へ渡来したとされる伝説上の人物です。
県道から花山院までは急な坂道が続いています。巡礼道はこの道を歩いて登るのですがかなりきつそうな上り坂です。駐車場に車を停め東光山の額が掲げられた山門を登っていくと小広い花山院の境内です。
ここは観音霊場中興の祖と言われる花山法王を祀ったお寺です。大鏡などによりと花山天皇27歳の頃、最愛の女御に先立たれ悲嘆にくれているところを藤原兼家らにつけこまれ、元慶寺で出家したと言います。麓には花山上皇の後を慕って山麓に住んだという十二妃の墓も残っています。
境内には祖父地蔵、祖母地蔵、父地蔵、母地蔵、子供地蔵と結び地蔵、賢者地蔵の像が立っていました。六地蔵は地獄、餓鬼、修羅、畜生、人間、天上の六道輪廻でお馴染みですが七地蔵というのは初めてです。
また本堂の前には玉垣の中に花山上皇の廟所がありました。古墳時代の天皇の墳墓は別としても、ひっそりと建つ上皇の廟所はあまり大きくないものでした。
本堂の前の広場からは広い展望を楽しむことができます。左手に小さく頭をもたげるのは有馬富士、右手には千丈寺湖という小さな湖が青い水をたたえていました。
富士と名の付く山は全国に314あるとか。いわゆる郷富士として親しまれた山です。兵庫にも有馬富士や丹波富士、但馬富士など、富士と名前の付く山があります。何れも形の美しい山が多いようです。
東方浄瑠璃世界の教主。人々の病患を救うとともに悟りに導くことを誓った仏で医薬の仏として信仰される。右手に施無畏印(せむいいん)を結び、左手に薬壺(やっこ)を持つ。脇侍に日光菩薩と月光菩薩、眷属として十二神将が配される。
第65代天皇(在位:984年8月27日~986年6月23日)冷泉天皇の第1皇子。986年皇太子懐仁(やすひと)親王の即位を急ぐ外祖父藤原兼家らの陰謀により花山寺で出家した。陵墓は京都府京都市北区衣笠北高橋町の紙屋川上陵。