今熊野観音は泉涌寺の近くにある小さなお寺です。後白河法皇が本尊を深く信仰し、持病の頭痛が平癒したと言うことから、頭痛、中風、厄除けの観音として多くの信者を集めているところです。
朱塗りの橋を渡り参道を進むと子守り大師という大きな像が建っています。小さな石段を登ると本堂。本堂の脇にはぼけ封じの枕カバーが売っていました。以前は枕を持ってきて祈願しましたが現在は祈願した枕カバーを売っていると言います。
本堂に右手に弘法大師を祭った太子堂。石段脇のぼけ封じ観音の前には、ふくよかな顔をした年寄りの石像が奉納されていました。
太子堂から松林の中を登って行くと朱塗りの多宝塔が建っています。ここは医聖堂と呼ばれるところで奈良や平安の医学者が祀られています。貝原益軒、杉田玄白など歴史の教科書に名前を連ねる医者の名前もあると言います。
平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。
平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。
六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。