日本三景の一つ天橋立に近い鼓ヶ岳の中腹にある古刹です。撞かずの鐘、身代わり観音などの伝説で知られているお寺です。
落語などでも全国各地を旅したと伝えられて、北は青森から南は福岡まで全国に甚五郎の作と伝えられる彫刻を残していますが、そのすべてが左甚五郎の作ではないようです。
本堂に参拝した後、砂利が敷かれた車道をしばらく登って行くと広く開けたパノラマ展望台にたどり着きます。目の前には阿蘇海と宮津湾を分け長い天橋立が伸びていました。
ここから眺める天橋立は飛龍観のそれと違い左手前から右奥に向かって長々と続いています。あいにくの曇り空でモノトーンに霞んでいるものの、やはり日本三景の一つに数えられる眺めです。
展望台先端の岩の上には赤いペンキで足のマークが描かれています。ここから股覗きをするということでしょうが、天に向かって橋が舞い上がるという表現には多少無理があるようです。
近くにはウツギの花がたくさん咲いていました。エゾウツギに比べ花の大きさが小さいようですが何と言うウツギでしょうか。
最近再建されたと言う五重塔の脇には弁天展望台がありました。五重塔脇の小さな小山の上に立つとパノラマ展望台に比べ幾分低いものの、大きく伸びて行く天橋立を眺めることが出来ました。
平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。
真言密教の教主。諸仏、諸菩薩の根元をなす理智体で宇宙の実相を仏格化した根本仏とされる。智徳の表現が金剛界大日、理徳の表現が胎蔵界大日とされ、天台宗では大日如来と釈迦如来は法身、応身で同体とし、真言宗では釈迦如来は顕教の教主とみて異体とする。
六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。