京急長沢駅9:55~三浦富士10:40/11:05~砲台山11:40~武山不動・武山展望台12:00/13:10~龍塚山龍塚~13:25~津久井浜14:45
好天に恵まれたお正月、12月から第8波の感染が拡大したという新型コロナ、正月を故郷で過ごす人で感染が拡大するかと思われていましたが、ここ数日は感染者数が減少するような報道も流れています。
品川と三崎口を1時間ほどで結ぶ京急電車は、京急久里浜駅から三崎口までは各駅停車。三崎海岸から先は路線も単線となっているようです。久里浜を越えると都心への通勤客の数が少なくなっているのでしょう。
京急長沢駅から緩やかな坂道を登って行くと三浦富士へと登山口です。石の階段を登ると解放戦士の碑と平和母子像入り口の道標があります。社会運動や革命運動に関わるも志半ばで死去した人々の慰霊碑とか、戦前の日本には社会運動が弾圧された時代があった記憶が残るところでしょう。
ここからは照葉樹の林の中を登る山道です。小さなピークを越え登り返す急坂にはトラロープが張られています。オフロードバイクの若者が数人、見上げる急坂はバイクでは無理なのか坂の下で休んでいました。
急坂を登ると三浦富士です。古くから山麓の漁師の信仰の山として、また富士山信仰の山として崇められたところです。山頂には古い石祠や石碑が祀られていました。
またここは展望が広がるところです。右手武山の上には白い雲を被った富士山、城ケ島の海岸線の先には天城の山々が霞んでいました。
三浦富士からは広葉樹林の尾根歩きです。途中、目の前が開けた展望台で一息を入れたのち、小さく登ると無線アンテナが建つ砲台山です。ここは旧日本軍の12.7センチ連装高角砲があったところとか。丸いコンクリートで固められた窪地の中に高角砲が南の空を睨んでいたのでしょう。
山頂直下の分岐からは武山を目指します。やがて横須賀リサーチパークから登って来る道を合わせると武山直下の階段の登りです。
ひと登りすると山頂に広場、赤い奉納幟の先には武山不動が祀られています。ここは三浦不動尊の一番札所、また干支守り本尊八佛霊場の五番霊場とも言います。山頂までは車道も続いているようで七福神めぐりなのか軽装の夫婦連れも登ってきていました。
山頂のコンクリ―造りの展望台はアゼリアハウスとか、階段を登ると東京湾の広い展望が広がっています。霞んだビル群の右には筑波の双耳峰、ビル群の中にはスカイツリーの尖塔が見え隠れしているようです。
4月の末には1200本というツツジの花が咲くところですが今日は日向を求めるハイカーで賑わっています。我々も展望台の下でお昼にしました。
山頂からは津久井浜駅へと下ることにします。緩やかに尾根道を下ると龍塚山の分岐です。
小さく下った細い道を登り返すと小さな祠が建っています。現地の案内板によると「江戸時代の享保のころ日照りが続き大きな蛇が水を求め武山不動の下で力尽きて死んでしまった。村人は哀れに思い葬ろうとしたがあまりの大きさに首だけを切って葬った」と書かれていました。
ここからは須軽谷へと道が続いていると言います。踏み跡をたどりしばらく下ると三浦富士直下で出会ったオフロードの若者と出会いました。三浦富士には向かわずこちらを登ってきたようでした。
しばらく下るとミカン畑、舗装道路は観光農園などの中を津久井浜へと下って行きます。正月の最中なのか観光農園は店を開いていません。ようやく見付けたいちご狩り農家で野菜やイチゴをGetしました。
津久井川沿いに遊歩道のような道が続きます。春の陽を浴びたブロッコリーやキャベツなどの畑の中を下って行くと目の前には京急の高架橋が見えてきます。案内板には川に沿ってと書いていましたが最後は右手、浅間神社近くから高架橋を越えると駅にたどり着くようでした。
駅前の浅間神社には早咲きの桜が咲いています。三浦の春はもう目の前と言うことでしょう。急な石段を登ると浅間神社の拝殿、初詣の家族連れが参拝をしていました。