池上駅9:55~照栄院~養源寺~太田神社~春日神社~根ヶ原神社~善慶寺~熊野神社(荒藺ヶ崎)~天丼てんや大森店・昼食11:20/35~大森駅11:39~八景天祖神社~圓能寺~大森山王日枝神社~大森貝塚遺跡庭園12:15~鹿嶋神社~来迎寺石造念仏供養塔~来迎院~光福寺~西光寺~作守稲荷神社~三ツ又地蔵堂~大井蔵王権現神社~大井町駅~妙光寺~百反歩道橋13:48~ONビル公開空地・休憩14:00/10~寿昌寺~本立寺~雉子神社~寳塔寺~品川駅15:45
先日の鎌倉道下道の続きは東急線池上駅からです。池上本門寺通りをしばらく歩くと池上本門寺の塔頭、照栄院があります。
照栄院は池上三院家の一つで元禄年間に南谷檀林が開設され多くの高僧を送り出したところです。檀林は僧侶が学問や修養を行う寺院です。山門には照栄院に関する大田区文化財の案内板が掲げられていました。
養源寺は松平隆政の母が創建したお寺でかつては尼寺であったところです。
太田神社は家運八幡宮と称された八幡信仰の神社で、那須与一の守り本尊を安置する神社です。那須与一公が一本の矢で扇を射抜いた逸話にちなみ勝負事や学業成就、スポーツ競技の勝利祈願などにご利益があるとされ、境内には一願秘中の幟旗が立っていました。
住宅地の中の道を進むとかつての新井宿の鎮守・春日神社です。広い境内の春日神社は奈良、春日大社の御分霊を勧請した神社で学問と武道の神様とされています。
新井宿はかつての東海道であった平間街道(旧池上道)と旧六郷用水が通っていたところです。街角にはいにしえの東海道の石碑がありました。
春日橋の高架橋は東京を環状にめぐる環七通り、周辺は車に流れも多い山王商店街です。高架橋の傍には第六天を祀る根ヶ原神社が祀られていました。
大森郵便局の向かいには日蓮宗の善慶寺があります。墓地には新井宿義民六人衆の墓がありました。延宝年間、領主木原氏の厳しい年貢の取立てに耐えかねた村役人6人が直訴するも事前に知られ斬罪されました。村人が父母の墓という名目で建てた墓石の裏には斬罪された6人の名前があると言います。
善慶寺の境内から急な石段を登ると熊野神社です。この地の名を冠して荒藺ヶ崎熊野神社とも呼ばれています。
ここからは車の流れも多い大森の商店街です。まだお昼時には少し早いようでしたが駅前の天丼てんやでお昼ご飯にしました。
大森駅は京浜急行の大森海岸駅がある海側のほうが開けているようです。東海道の街道歩きでも歩いたところで。鈴が森の刑場もあるとこです。
大森駅の向かい側には八景天祖神社がありました。享保年間、伊勢の皇大神宮の御分霊を勧請して創建された神社で、明神社とも呼ばれていました。
かつて源義家が後三年の役に出陣したとき戦勝を祈願したと伝えられ、鎧を松の枝にかけた故事から歌川広重の浮世絵に八景坂鎧掛松として描かれたところです。
明神山の急な石段を登って行くと拝殿があります。石段の傍には「馬込文士村の住人」のレリーフがありました。
大正後期から昭和初期にかけ東京府荏原郡馬込村(現在の山王、馬込など)を中心に文化人が移り住むようになりその数は100人にもなったと言います。レリーフには尾崎士郎、宇野千代、山本有三など聞いたことのある名前も見付けることができます。
山王口の交差点を越えると真言宗智山派の圓能寺です。お寺の入り口が判らず迷いながらたどり着いた山門は閉鎖中、本堂へは境内にある幼稚園が開かれている間は狭い小路をたどることになるようです。不審者の侵入に対処したのでしょうが幼稚園の周囲を巡って柵が張られていました。
本堂には成田山の大きな提灯が掲げられ、不動明王が祀られているようです。
圓能寺の傍には大森山王日枝神社があります。山王の地名の由来ともなった神社です。かつてここには新井宿村の名主・酒井権左衛門の邸内社であったとされています。酒井権左衛門は新井宿義民六人衆にひとりであったことから、邸内社は圓能寺が別当寺となったとされています。この社は新井宿義民六人衆の歴史が残るところでした。
大森には明治時代にモース博士によって発見された大森貝塚があります。大森貝塚遺跡庭園として整備が行われ発掘された貝殻が埋もれた地層が再現されていました。
鹿嶋神社は大井村の鎮守の神社です。境内のタブノキは品川区の天然記念物、その傍にはかつての本殿が移築され、風雨を防ぐため覆屋がかけられています。社殿は鎌倉彫りの彫刻が施されたもので境内にあった三峰神社、八幡神社、天祖神社などの末社が合祀されていると案内に書かれていました。
ここで道を右に折れると来迎院です。来迎院は鹿嶋神社の別当寺であったところです。来迎院の前には来迎院石造念仏供養塔がありました。江戸時代に盛んであった念仏講の石仏と言います。
住宅地の中をたどると光福寺です。境内のイチョウは品川区の保存樹、樹齢800年と言われるイチョウにはたくさんの気根が垂れ下がっていました。
またこのお寺の境内には大井の地名の由来となったという大井の井戸があると言います。横穴式の井戸で境内の墓地の中にあると案内板に書かれていましたが見付けることはできませんでした。
住宅地の中を進むと西光寺です。本堂の前の桜の老木は児桜(ちござくら)とか、江戸時代から伝えられ西光寺の固有種と言います。
作守稲荷の前を過ぎ池上通りへ、大井三ツ又の交差点には三ツ又地蔵尊が祀られています。かつてあった観音堂の跡と言われ病気、災害の身代わり地蔵として庶民の信仰を集めると言います。夏目雅子主演の映画「時代屋の女房」の舞台となったところとして知られているとか。
ビルの背丈が高くなった道を進むと大井蔵王権現神社です。ビルの空き地に祀られた神社は蔵王権現を祀る神仏習合の歴史を残す神社です。天狗まつりと呼ばれる例大祭には天狗の顔が鎮座する御神輿が担がれると言います。
大井駅はJRと東急大井町線、りんかい線が交差するところです。駅前は再開発の工事が行われていました。
品川区役所前で道を右に、区役所前通りを進むと坂の上に日蓮正宗の妙光寺があります。境内は寺院とは見間違えそうな新しい建物でした。
日蓮正宗は富士宮市の大石寺を総本山とする日蓮宗の宗派で、その教義をめぐり他の日蓮系宗派とは一線を画しえいると言います。また創価学会が日蓮正宗から破門されたことでも知られています。
付近は新幹線と湘南新宿ラインが交差するところです。百反歩道橋で湘南新宿ラインや山手線を越えると目黒川に架かる居木橋です。
川岸がコンクリートの護岸で覆われた川は河口の天王洲アイルまで1kmほどか、まさに都市の中を流れる川と言ったところです。
ここからは御殿山通りを登って行きます。かつては太田道灌の館があったとも、また徳川時代には将軍の別邸があったと言います。三菱開東閣や品川プリンスホテルなどがあり品川の高級住宅地と言ったところです。
柘榴坂を下れば品川駅ですが近くには幾つかのお寺や神社があります。品川周辺は山坂が多いところ、アップダウンを余儀なくされそうですが立ち寄ることにしました。
寿昌寺は門前に無縁仏の慰霊塔が建つ小さなお寺、その近くには本立寺があります。たくさんの墓が建ち並ぶ境内の奥には変わった形の本堂がありました。
国道1号線・桜田通りのビルの中には雉子神社があります。古くは荏原宮と称されていたが三代将軍・徳川家光により雉子の宮を命名された歴史を持つ神社です。ガラス張りの神輿蔵、三社神社など、まさに都会の中の神社と言ったところでした。
桜田通りから階段を下ると寳塔寺です。天台宗の寺院で境内には元三大師の幟旗が掲げられていました。
多少時間が早いようですが今回の終点は品川駅です。品川駅周辺は再開発の工事の最中で工事用のフェンスン中からは赤白のクレーンなど、駅前はたくさんの人で賑わっていました。