曳舟駅10:18~向島百花園10:42~白髭神社~法泉寺11:20~東白髭公園~隅田川神社11:42~木母寺~圓徳寺12:10~香取神社~多門寺12:30~隅田水門~堀切橋~ローソンストア100葛飾堀切2丁目13:12~堀切天祖神社祖霊社~堀切菖蒲園13:41~宝町八幡神社~青砥駅15:10
先日の鎌倉道下道の続きは京成曳舟駅からです。江東区や葛飾区はあまり足を踏み入れたことがないところです。ここから松戸までの間には荒川、中川、江戸川が流れ、かつては低湿地帯が広がっていたところと言います。
曳船駅の駅前からは向島百花園に向かいます。向島は「隅田川の向こう側」にあることから呼ばれていた地名で、浮世絵にも描かれた景勝地として知られていました。
ここは江戸時代の骨董商、佐原鞠塢によって造園され、文化人や茶人、墨客が集い賑わっていたと言います。
梅や春の花が多くあると言いますが植物園というよりは芭蕉句碑や山上憶良歌碑など多くの歌碑などと一緒に風流を楽しむところ。園内には黄色いゼンテイカやナツハギ、ヤマトラノオ、ギボウシなど咲いていました。
先日の街道歩きで立ち寄った白髭神社の傍に法泉寺があります。境内には窪俊満の歌碑や延命地蔵が祀られていました。
ここからは隅田川の川沿いに造られた東白髭公園の中を歩くことになります。大きな南池は浅いようですが水の事故を気にしてか柵を巡らせ立ち入り禁止になっています。グランドやテニスコートもある公園ですが平日歩く人は多くないようです。
隅田川神社は高速道路の高架橋を背にした神社です。週末にお祭りがあるようで鳥居の傍にはトラックが横付けされ荷物を運んでいました。
境内には水神の森跡の案内板があります。荒川下流のこの周辺にはかつて浮島状の小さな森がありその中に水神が祀られていたと言います。拝殿の脇には狛犬代わりに赤い涎掛けを付けた亀が置かれていました。
この周辺は鐘ヶ淵と呼ばれるところ、かつてあった普門寺が橋場から亀戸に移転するとき鐘が水中に落ちたことが地名の由来と言います。隅田川が大きくカーブし、綾瀬川が合流することから洪水が発生しやすいところで船の難所としても知られていたと言います。
明治時代、ここには鐘紡の前身である鐘淵紡績東京工場が設立されました。昭和44年には業績の悪化などで東京工場は操業を中止、現在は大きな都営住宅が建っています。
木母堂は天台宗のお寺です。平安時代、忠円という僧が梅若丸を弔うために建立したと伝えられています。梅若丸の悲話は、後に浄瑠璃や能の題材となり「隅田川物」として知られるようになりました。
境内にあるガラス張りの覆い堂の中には梅若丸の母が建てたとされる念仏堂です。木母寺は東京大空襲で焼失しましたが梅若堂は奇跡的に焼失を免れました。お堂には当時の焼夷弾の痕跡が赤い丸印の中に残っていました。
また近くには三游塚や天下の糸平塚があります。三游塚は初代三遊亭圓朝が、初代と二代目の三遊亭圓生を追福ため建立した石碑です。
また、天下の糸平は明治時代に生糸貿易で名を上げた田中平八の石碑です。石碑の建立には伊藤博文や渋沢栄一など明治の知名人が名を連ねていると言います。
東白髭公園は墨田区の防災公園として整備された公園です。大きな都営白鬚東アパートは防火壁の役割も担っていると言います。公園には非常用トイレが設置されていました。
南海トラフや首都直下地震など、防災対策の充実が急務と言われています。ゼロメートル地帯と言われ水没の危険性が高いこの周辺では、防災への対策がより重要なのでしょう。
大きな都営アパートを越えると鐘ヶ淵通りの住宅地です。そろそろ昼時、しかし鐘ヶ淵駅近くにはお昼ご飯を食べられそうなお店は見付かりませんでした。
山門が工事中の圓徳寺に立ち寄ったのち、隅田水門へと歩くことにします。荒川の堤防沿いには浅草と伊勢崎や日光を結ぶ東武伊勢崎線が通っています。
近くには香取神社と毘沙門天を祀る多門寺がありました。多門寺の境内には東急空襲で被災した浅草国際劇場の曲がった鉄骨、「戦災の証言者」という焼け焦げた木が展示されていました。また境内には狸塚があります。案内板にはこの地に住んでいた妖怪狸を毘沙門天が退治する話が書かれていました。
隅田水門は荒川と隅田川を結ぶ水門です。荒川の増水による洪水対策、船の通過など目的で設けられていると言います。近くには東武伊勢崎線の堀切駅がありました。
堀切橋で荒川を渡ります。目の前には首都高中央環状線の高架橋が通っています。高速道路の東北道から湾岸線へと下って行くとき、銀座方面への分岐が厳しい堀切JCTがあるところです。
綾瀬川を渡ると堀切の住宅地です。堀切の菖蒲園では葛西しょうぶ祭りが行われコミニュティ道路やラッキー通りにはたくさんの人が歩いています。
近くには堀切天祖神社祖霊社があります。堀切天祖神社の境外末社と言うことですが近くには可愛らし気な七福神の石像が祀られていました。
川を埋め立てたと思われるコミニュティ道路にはアジサイなどの花が咲いています。たどり着いた菖蒲園はたくさんの人で賑わっていました。今が花しょうぶの満開の時期、色とりどりの花しょうぶにはそれぞれ名前があるようですが一目で見分けることが難しいものです。
たくさんの人で賑わう菖蒲園からラッキー通へ、堀切の商店街には菖蒲まつりの幟旗が立っていますが店を開いているお店屋さんはあまり多くないようです。
立ち寄った室町八幡神社、参拝する人が少ないのか拝殿の屋根瓦は傾いているようです。地方の神社では氏子さんなども少なくその維持はなかなか大変なようです。
鎌倉道はお花茶屋の先を水戸街道に沿って北に向かうようになります。今回の街歩きは向島百花園、堀切菖蒲園などで時間がかかったこともありこの付近で終了、京成本線の青砥駅から戻ることにしました。