鎌倉古道中道・小菅ヶ谷町から鶴ヶ峰 


 歩行時間:行動時間 5:25、歩行時間 5:05
 歩行距離:16.5km
 累積標高差:+285m、-260m
 アプローチ:往路・江ノ電バス・小菅ヶ谷町、復路・相鉄線・鶴ヶ峰駅
 訪問日:2022年11月19日

 

 コースタイム


いたち川新橋8:45~菅谷山長光寺9:15~鎌倉古道木曽の石仏・赤坂の湧水9:25~舞岡公園9:40~日限地蔵尊10:10~下永谷第二公園10:45~下永谷市民の森公園11:00~秋葉三叉路11:20~新戸塚病院11:55~都塚、地蔵堂12:30~鎌倉道と大山道の案内板、こども自然公園12:40/13:00~鶴ヶ峰駅14:10

 

 いたち川新橋~木曽の石仏~舞岡公園~日限地蔵~下永谷市民の森~秋葉三叉路


鎌倉中道の続きはいたち川新橋から鶴ヶ峰です。本郷台の町中をたどる道は舞岡公園から秋葉台へ、川上町から戸塚カントリークラブの側を通り鶴ヶ峰へと続いています。

木曽の石仏がある本郷台からは舞岡公園、下永谷市民の森へと続く尾根道です。ここは早駆けの道と呼ばれていたようです。

このほか舞岡川の西側を通るルートや戸塚の八坂神社を通る道も歩かれていたようです。八坂神社や妙宗寺にはかまくら道の石柱が建っています。

また鎌倉幕府滅亡後の中先代の乱のでは、東光寺の土牢に閉じ込めていた護良親王が殺害されますが、側近が秘かにその御首を持ち運んだと言います。舞岡川の西側を通るルートはその道と伝えられているようです。

いたち川の延命地蔵
稲荷神社と石仏群

たどり着いた新橋の交差点にはかまくら道の道標と延命地蔵が祀られています。ここからは住宅地の中をたどる道が始まります。

京浜東北線の高架を越えると長光寺です。急な石段の上の山門は工事中のようでブルーシートに覆われていました。

長光寺の山門は工事中
風化が進む木曽の石仏
赤坂の湧水
小菅ヶ谷北公園

車の流れが激しい環状3号線の交差点には風化した木曽の石仏があります。また近くには斜面から湧きだす水を引いたものと言う赤坂の湧水があります。昔の旅人はこの水で喉を潤したのでしょう。

ここからは舞岡公園へ、旧道は付近の住宅地開発で失われているようです。舞岡公園の外れにはかつて鎌倉道にあったとされる道祖神が祀られていた記憶が残っています。

急な石段を登って
舞岡公園
日限地蔵尊
特別老人ホーム芙蓉園の脇を

小菅ヶ谷北公園から僅かに登ると舞岡公園です。ランニングを楽しむ若者が駆け下りてきました。

ここからは住宅地の中をたどることになります。日限地蔵前の交差点で道を左に、大きな標柱の先には癪を癒すとされるお地蔵さまが祀られています。ここはかつて玉縄城の支城だった笹山城があったところとか。土塁跡が残っていたようですが住宅地の開発で埋もれてしまったようです。

下中谷入り口から特別老人ホーム芙蓉園脇を登って行くと尾根道です。林の中に細い道が続いています。

尾根通しに細い道
青空の中の霞む富士山
下永谷第二公園
細い道をたどり下永谷市民の森公園へ

開発が進む住宅地の中の道を迷いながらしばらく進むと下永谷第二公園、判り難い住宅の間に公園の入り口がありました。東屋の建つ五山見亭からは丹沢や富士山が見えています。青空の中に溶け込む富士山の頂はすでに白い雪に包まれているようでした。

住宅地の先に丹沢と富士山
五山見亭跡に東屋
下永谷市民の森の案内板
フェンス沿いに細い道が続きます

フェンスに沿って続く細い尾根道、造成された住宅地が近くまで迫ってきます。民家の裏に続く細い道を下ると車の流れも激しい国道1号線です。

歩道橋で1号線を渡り
東海道線を渡る跨線橋

さらに跨線橋で東海道線を越えると秋葉三叉路にたどり着きました。この近くはポーラや山崎製パンなどの工場が立ち並ぶところです。

また護良親王の首が埋められたとされる王子神社もこの近くにあります。

 

 秋葉三叉路~新戸塚病院~都塚~鎌倉道と大山道の案内板~鶴ヶ峰駅


秋葉三叉路の先で名瀬道路を分け住宅地の中を登って行きます。さらに横浜新道を越え住宅地の中を登ると新戸塚病院です。

横浜新道の側を登って行きます
新戸塚病院の先の階段を登り
合掌の里の駐車場
戸塚カントリークラブ

この先の階段から坂道を下り川上町からこども自然公園へと続く道を登って行きます。戸塚カントリークラブ、横浜カントリークラブの間の囲まれた単調な登りは少し疲れるところです。途中には都塚、相武国境の最高点であったことから鎌倉の都が見渡されたとされています。

さらに下るとこども自然園です。バーベキューを楽しむ家族連れで賑わう公園の入り口には鎌倉道と大山道の案内板がありました。案内によると東に行けば今井街道を経て東海道保土ヶ谷宿へ、南に行けば鎌倉中道を通り鎌倉へ、西に行けば大山の阿夫利神社へと通じるとされていました。

都塚に地蔵堂
鎌倉道と大山道の案内板
保土ヶ谷バイパスの下をくぐり
新幹線を越える跨線橋

この周辺は万騎ヶ原、鎌倉時代の畠山重忠の乱で北条勢数万騎が陣を張った古戦場です。二俣駅の側には畠山重忠公遺烈碑が、また鶴ヶ峰駅の側には畠山重忠公首塚があると言います。今は流れも細い帷子川が激戦の地となったと伝えられています。

こども自然園から住宅地の中を歩いていくと保土ヶ谷バイパス、さらに新幹線の跨線橋を越えると鶴ヶ峰駅は目の前です。

相鉄の踏切
鶴ヶ峰の駅前

八百屋さん、飲食店などが立ち並ぶ駅前はたくさんの人で思いのほか賑わっていました。

 

 コース GPSmap


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関連記録・コース

 護良親王(もりよししんのう)・大塔宮(おおとうのみや)

1308~1335年、後醍醐天皇の皇子。天台座主となる。元弘の乱に僧兵を率いて活躍、還俗て名を護良と改める。建武中興で征夷大将軍・兵部卿。のち足利尊氏と対立し鎌倉に幽閉される。

 

 畠山重忠(はたけやま しげただ)

1164~1205年、鎌倉初期の武将。源頼朝に従い、有力御家人の一人となる。のち北条氏と対立、北条義時の大軍を武蔵二俣川に迎え撃って戦死した。

 

 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)/尊治(たかはる)

第96代天皇(在位:1318年3月29日~1339年8月15日)後宇多天皇の皇子。大覚寺統。親政を企てて正中の変、元弘の変に敗れ、隠岐に流された。1333年脱出し新田義貞、足利尊氏らの支援で鎌倉幕府を滅ぼして建武新政権を樹立。

のち公武の不和から親政は失敗し尊氏らも離反、36年吉野に移り南朝を立てた。陵墓は奈良県吉野郡吉野町吉野山の塔尾陵。

 

 元弘の乱(げんこうのらん)・元弘の変(げんこうのへん)

1331年(元弘元年)後醍醐天皇によって起こされた政変。鎌倉幕府の討幕を企てて露顕し、天皇は捕らえられ隠岐に流された。天皇の隠岐脱出に呼応して諸将が蜂起、幕府は倒れ建武の中興をみるに至った。

 

 足利尊氏(あしかがたかうじ)

1305~1358年、室町幕府の初代将軍(在職1338~1358)元弘の乱で建武の中興のきっかけをつくる働きをした。のち後醍醐天皇にそむき1336年光明天皇を擁立し室町幕府を開いて南朝と対立した。夢窓疎石に帰依し天竜寺などを建立。

 

 源頼朝(みなもとよりとも)

1147~1199年 鎌倉幕府初代将軍。義朝の三男。平治の乱のち伊豆蛭ヶ小島に配流される。1180年以仁王もちひとおうの平氏追討の令旨に応じ挙兵。石橋山の戦いに敗れ安房に逃げたが東国武士の来援を得て関東を制し鎌倉にはいって根拠地とした。平維盛の追討軍を富士川に破り弟の範頼・義経を西上させ、85年壇ノ浦で平氏を討滅し全国を平定。全国に守護・地頭を設置、武家政治の基礎を確立。

 

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