善慶寺 


 寺社の種類:日蓮宗の寺院
 山号: 法光山
 創建の時期:正応4年(1291年)、創建:日法
 本尊: 三宝祖師
 札所:ー
 所在地:東京都大田区山王3丁目22ー16
 訪問日:2025年3月10日

 

東京都大田区にある日蓮宗の寺院です。

copilotによると、善慶寺は『1291年に増田三郎右衛門の発願により、日法上人によって開基されました。新井宿義民六人衆の墓があることで知られています。1676年、過酷な年貢収奪に耐えかねた新井宿村の農民6人が幕府に直訴しようとしましたが、捕えられ斬首刑に処されました。』(Copilot 2025/3)

善慶寺の山門
新井宿義民六人衆の案内板
池上の寺めぐりの案内板
本堂
本堂の扁額
義民廟
義民六人衆の案内板

《池上寺めぐり・善慶寺》

正応4年(1291)当所の人 増田三郎右衛門が日蓮聖人の直弟子日法聖人に帰依して開創。延宝4年(1676)苛酷を極める領主の年貢収奪に耐えかねた新井宿村の農民の代表六人が幕府に直訴することを決めたが、事前に領主の察知するところとなり六人は捕えられて斬首の刑に処せられた。

しかしその結果、年貢は半減されたので、大人は義民として当寺境内の墓所に葬られ、毎年2月11日に義民六人衆法要が執り行われている。

 

《新井宿義民六人衆 墓》 東京都教育委員会

江戸時代の荏原郡新井宿村は、家康の関東入府から幕末にいたるまで、旗本木原氏の知行地であった。四代兵三郎重弘の時代、延宝元年(1673)の旱魃、翌年の多摩川の氾濫による洪水や長雨などの天災で農民の困窮は甚だしく、過酷な年貢収奪に耐えかねた農民は、十九ヶ条の訴状(東京都指定文化財「新井宿村名主惣百姓等訴状写し」)を提出して年貢の減免を願い出た。この訴えは黙殺されたため、重立百姓六人は、将軍家綱に起訴しようとしたが、決行直前の延宝5年(1677)正月2日密告により捕らえられ、神田橋門外にあった木原内匠邸(現在の千代田区内神田一丁目2~4番)で処刑されたといわれている。

新井宿義民六人衆による起訴事件は、村人の中に語り継がれ、延宝8年(1679)義民と縁故筋にあたる間宮藤八郎が、両親の墓を建てると称して六人の法号を刻んで密かに建立したのがこの墓石である。正面に父母の、裏面に六人の法名が刻み込まれており、台石の四方に花立と水入が取りつけられ、その間をくり抜いて連結し、一箇所に水を注げば四方に行き渡るように工夫されている。近年の寺域整備により改葬され、その際出土した甕棺と義民六人衆の遺骸引取りの際に使役した馬の飼葉桶は境内に公開されている。

 日蓮宗(にちれんしゅう)

仏教の一宗派。鎌倉時代に日蓮が開いた。法華経を所依(しょえ)とし南無妙法蓮華経の題目を唱える実践を重んじ、折伏(しゃくぶく)・摂受(しょうじゅ)の二門を立て、現実における仏国土建設をめざす。

 

 三宝尊(さんぼうそん)

日蓮宗の本尊。仏、法、僧の三宝を祀るための仏像を三宝尊と言う。また庶民にとって高価な仏像を祀ることは困難であり日蓮は諸尊を書いた十界曼荼羅を庶民に与えた。

 

 日蓮(にちれん)・立正大師

鎌倉時代の僧。日蓮宗の開祖。安房小湊の漁師の子という。17歳ころから鎌倉・比叡山などで11年間修行研鑽し、法華経こそ至高の経典であるとの確信を得、1253年故郷の清澄山頂で題目を高唱して開宗した。

 

 日蓮宗(にちれんしゅう)

仏教の一宗派。鎌倉時代に日蓮が開いた。法華経を所依(しょえ)とし南無妙法蓮華経の題目を唱える実践を重んじ、折伏(しゃくぶく)・摂受(しょうじゅ)の二門を立て、現実における仏国土建設をめざす。

 

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