下飯田駅9:00~佐馬神社9:15~三柱神社9:40~無量寺9:50~飯田神社10:05~中屋敷天満宮、本興寺10:25/30~柳明観音堂、柳明神社10:45~下瀬谷一丁目公園11:10/15~左馬神社11:45~猿王山西福寺~瀬谷山徳善寺~日枝社~瀬谷明神社~瀬谷銀行跡~慈光山善昌寺~蓮昌山妙光寺~若宮八幡宮12:40/45~第六天社13:05~円成寺13:15~鶴間公園13:40/45~南町田グランベリーパーク駅13:50
鎌倉古道上道歩きは下飯田駅から瀬谷を超え南町田への街道歩きです。いずみ野線の高架橋の下をくぐると左馬神社です。
境川周辺には12社の左馬社があると言います。源義朝、源満仲の官職だった左馬頭(さまのかみ)から名付けられた神社です。境川周辺では疫病が流行すると左馬社をめぐるザバ参りの信仰があると言います。
伝承によると飯田郷の地頭、飯田五郎家義が勧請した古い神社です。境内の奥には朱塗りの拝殿がありました。
住宅地の中には三柱神社があります。現地の由緒書きには古くからこの地に祀られていた山王社、稲荷社、天神社を寄宮したものとされています。
境内には地域の集会所があり近郊の人々が清掃作業などを行っていました。
さらにその先には浄土宗のお寺、無量寺があります。境内には横浜市名木古木に指定された大イチョウがありました。多くの墓地がある地元の檀家寺のようでした。
僅かに歩くと飯田神社です。入り口には手作りの着物を着たお地蔵さんを祀る地蔵堂があります。鯖明神とも呼ばれ源義朝を祀るサバ社の一つです。境内には大きな神楽殿や鐘楼がありました。
本興寺の近くに中屋敷天満宮があります。小さな石段を登った先に小さな社、境内には官公一千年祭記念碑がありました。
本興寺の参道の先には仁王門がそびえていました。
日蓮聖人の直弟子、天目上人が鎌倉に開創した寺で、聖人が辻説法の途中、休息された地に休息山本興寺として創建されました。
日蓮宗には本仏の位置づけ、法華経の解釈から多くの分派・門流があるようです。江戸時代の初め、日什門流の日経が不受不施を説いたため起きたとされる慶長の法難ののち衰退し、万治三年(1660年)日蓮上人ゆかりという当地に移設されました。全国に49ヶ所ある由緒寺院のひとつです。
新幹線の歩道橋を超えると柳明観音堂と柳明神社があります。廃寺になった鎌倉郡観音霊場24番札所大石寺の跡に大石寺の本尊を安置したところと言います。
相沢川の川沿いに続く遊歩道をしばらく進むと下瀬谷橋の交差点です。ここは瀬谷八福神めぐりで訪れたところ、狭くなった道に沿って古いお寺や神社が続くところです。
最初は左馬社、境川周辺に点在する源義朝を祀ったサバ社の一社です。
左馬社の側には西福寺、があります。横浜名木古木に指定されたスダジイのあるお寺です。
相鉄本線のガードをくぐると程なく徳善寺です。大きな仁王門に禅宗の教えが掲げられているお寺です。
その先には日枝社、瀬谷明神社があります。かつて瀬谷は養蚕が盛んで製糸場が設立されていました。瀬谷銀行跡は当時の地域金融の中心となったところのようです。
善昌寺、妙光寺を超えると広くなった道は瀬谷柏尾道路、瀬谷と戸塚とを結ぶ道路です。
住宅地の中の道をしばらく進むと東名道をくぐるガードです。石段の上には若宮八幡宮が祀られています。
階段を登った広い境内には朱塗りの拝殿や神楽殿、摂社があります。戦国時代の室町時代末期永禄年間(1558~69年)、岩崎丹後守が勧請創建したもので祭神は誉田別命、勝ち運の神様と言います。
東名道のガード下をくぐりしばらく歩くと八王子街道、その先にはマークメゾンの洒落たマンションが建っていました。住宅地の中をさらに進むと第六天神社が祀られていました。
道を間違いながらしばらく進むと円成寺です。浄土真宗本願寺派の寺院で條氏綱に仕えていた主山中修理亮が出家して開創したと言います。コンクリート造りの客殿では月例法話、正信講門徒会などが行われているようです。
国道246号線を超えしばらく歩くと鶴間公園です。久しぶりに新型コロナの規制のないゴールデンウィーク、子供を連れた家族連れで広い公園も賑わっていました。
今回の鎌倉古道歩きはここで終点。歩いた距離は16kmを越えていました。帰りに立ち寄ったグランベリーモールもまたたくさんの人で賑わっていました。