鎌倉古道下道・鎌倉から上大岡 


 歩行時間:行動時間 6:25、歩行時間 5:55
 歩行距離:20.4km
 累積標高差:+370m、-370m
 往路:JR横須賀線・鎌倉駅、復路:市営地下鉄・上大岡駅
 訪問日:2024年12月29日

 

 コースタイム


鎌倉駅9:30~鶴岡八幡宮9:45~十二所バス停10:35~朝比奈ノ滝10:45~朝比奈切通~朝比奈バス停11:15~すき家朝比奈店11:45/12:05~瀬戸神社10:45~金沢文庫駅~能見堂13:20/30~金沢道~上大岡駅15:55

 

 鎌倉駅~鶴岡八幡宮~朝比奈切通~瀬戸神社~能見堂~金沢道~上大岡駅


鎌倉古道は中世において鎌倉から信濃や越後、陸奥などを結ぶ交通路でした。よく知られているのが、上道(かみつみち)、中道(なかつみち)、下道(しもつみち)とよばれる関東地方を中心に広がる主要な幹線道で、現在でも鎌倉街道の名を残すところが多くあります。

今まで歩いた鎌倉道は上道の鎌倉から分倍河原まで、鎌倉幕府の滅亡のとき新田義貞が鎌倉へと攻め上った道と言います。また中道は鎌倉から溝の口までを歩きました。中道には畠山重忠の乱の舞台となった鶴ヶ峰があるところです。

今回は下道、鎌倉から六浦を経て関戸の渡しを通り武蔵西部や上州に向かう道と言います。

歩き始めは鎌倉駅です。何時も観光客でにぎわう鎌倉は年末になっても海外のお客さまなどで賑わっていました。初詣ではたくさんの人で賑わう鶴岡八幡宮の参道、屋台などはまだ店を開いていないもののたくさんの参拝客でにぎわっていました。

鎌倉駅前から歩き始め
八幡宮に続く段葛

八幡宮の境内から金沢街道に出ると県道はたくさんの車が走っています。途中には関取場跡碑や歌の橋の碑など、鎌倉の歴史を伝える石碑が建っています。

八幡宮はたくさんの人
鎌倉宮へと続く別れ道
関取場跡の碑
荏柄天神社の鳥居

赤い鳥居は荏柄神社の参道、坂東三十三観音霊場1番札所の杉本寺はすでに松飾りなど正月の参拝客を迎える準備ができているようです。

鎌倉市の汚水マンホール
杉本寺の参道
六浦へと続く金沢街道
十二所石仏群・無縫塔

赤石橋近くの空き地にたくさんの石仏が祀られています。無縫塔もあることから廃寺となった禅寺が近くにあったのでしょうか。

しばらく進むと十二所のバス停、ここは鎌倉の隠れたモミジの名所の一つ番場ヶ谷への入り口があるところです。

朝比奈の切通へはバス停先から右手の道を入ることになります。途中には梶原大刀洗水があります。

十二所石仏群
朝比奈切通の入口
梶原大刀洗水
朝比奈ノ滝と朝比奈切通の碑

鎌倉五名水の一つで、梶原景時が上総介広常を討ったとき、この湧き水で太刀の血のりを洗い流したという伝説が残されているところです。上総介広常の館は十二所果樹園付近にあったと言います。

朝比奈切通は鎌倉七口の一つに数えられ六浦と鎌倉を結ぶ交通の要所です。吾妻鏡によりと仁治2年(1241年)には時の執権であった北条泰時の指揮で工事が行われていた記録があると言います。

摩崖仏が彫られた大きな岩は高さ10m程も切り掘られた開削されたと言われ、当時としては難工事だったのがうかがえます。峠を越えると右手には熊野神社の入り口、源頼朝が鎌倉の鬼門を守護するために熊野三社を勧請したと伝えられる神社です。

落ち葉が降り積もる朝比奈切通
峠の岩壁に摩崖仏
熊野神社への分岐
岩壁には石窟があります
横横道の高架橋の下をくぐり
道端に庚申塔

横横道の高架橋をくぐると金沢街道の舗装道路です。バス停からわずかに歩くと鼻欠地蔵です。江戸時代に出版された江戸名所絵図に岩壁に刻まれたお地蔵さまが書かれていましたが今は風化して見分けることもできません。

朝比奈切通の案内板
朝比奈のバス停
浄林寺跡への石段
鼻欠地蔵の案内板
光傳寺の山門
日蓮宗の長生寺

金沢街道に沿って光傳寺長生寺があります。大きな日蓮宗の上行寺は日荷上人の墓がある古刹です。境内には日荷上人が植えたとされる樹齢700年というカヤの大木があるところです。船つぎの松、日荷上人が称名寺の和尚と仁王像を賭けて囲碁に勝った話や、日蓮上人の船中問答の話など、歴史的逸話が伝えられています。

昼食はすき家のすき鍋
上行寺は日荷上人のカヤの大木
上行寺の大きな本堂
石段を登ると泥牛庵

国道16号線を左に、石段を登ると泥牛庵があります。執権北条高時など北条一族の冥福を祈ったのとされるお寺です。高時は13歳で執権となり10年後、金沢貞顕に執権を譲り出家したとされています。

金沢八景駅の先には瀬戸神社、お正月を迎えるためか拝殿の前には茅の輪くぐりがありました。

金沢八景駅
瀬戸神社には茅の輪くぐり
瀬戸橋を渡ると釣り船宿
明治憲法草創之處碑

国道16号線を右に、瀬戸橋を渡ると釣り船宿が数件並んでいます。この時期はアジのほかタチウオやカワハギなどが釣れるとか、お客さんも多いのか近くには専用の駐車場もあるようです。

明治憲法草創之處碑を左に折れると金沢歴史の道です。ここから称名寺まではお寺や神社が点在する歴史の道です。須崎神社龍華寺町屋神社などを過ぎると金澤八幡神社、赤門通りを右に分けしばらく歩くと君ヶ崎の交差点です。

金沢歴史の道の案内板
洲崎神社
龍華寺
金澤八幡神社

交差点の先には小さな君ケ崎稲荷神社がありました。金沢文庫駅の先で京浜急行の線路を超えると六国峠ハイキングの案内板があります。住宅地の脇から良く踏まれた階段の道の登りが始まりました。

君ケ崎稲荷神社
金沢文庫駅
谷津町の踏切を渡り
六国峠ハイキングの案内板

急な登りをひと登りすると稜線歩き、近くの人の散策路となっているようで軽装の人が歩いています。能見堂緑地ハイキング道の案内板に従いしばらく歩くと能見堂(のうけんどう)跡です。寛文年間、当時の領主久世大和守広之が芝増上寺の子院を移設した地蔵堂の跡と言います。

住宅地の中に六国峠の入り口
能見堂緑地ハイキング道の案内板
能見堂跡の案内板
金沢八景の石碑

明の渡来僧、心越禅師(しんえつぜんじ)が故郷の景色を偲んで、ここから見た金沢八ヶ所の勝景を漢詩に詠み、金沢八景の由来となったと言います。

能見堂の案内板
能見堂の歌碑
金沢八景と能見堂の案内板
視界が開けると金沢の海岸線

視界が広がると目の前には金沢の海岸線、現在は埋め立てが進み住宅や工場が立ち並んでいますが、当時は金沢の海岸や島影が目の前に広がっていたのでしょう。青空の下には房総の富山の双耳峰、鋸山の山並みも見えていました。

ここからは能見台の森の散策路です。右手は能見台、左手は釜利谷の住宅地、照葉樹の林を縫うように散策路が続いていました。

幾つもの入口があるようで小さな子供を連れた家族連れが歩いていました。高速道路を超え小さなアップダウンの道をしばらく歩きましたが、道は金沢自然公園・天園の分岐にたどり着きました。途中で道を間違えてしまったようです。

家族連れも歩くハイキングコース
金沢自然公園への分岐
能見台緑地周辺の案内板
住宅地から眺める横浜の市街

分岐を右に、能見台の住宅地の中を下って行きます。目の前には横浜の市街地やベイブリッジなどが見える住宅地です。グランドではたくさんの子供たちがサッカーの練習をしていました。

住宅地の中をしばらく歩くと笹下釜利谷路の傍を歩くようになります。大岡川に沿った細い道はかねさわ道、古い歴史の道が住宅地の中に続いていました。

ケヤキの道路を下って
住宅地の中にかなざわ道
イルミネーションが飾られた民家
環状3号の栗木交差点

環状3号の栗木交差点、根岸線の線路下をくぐると再び住宅地の中の道をたどることになります。道端にはかねさわ道の案内板の案内板、馬頭観音の石碑などもありました。

しかしここ杉田地区は開発が進んでいるようで、道端には戸建ての真新しい住宅が建ち並んでいます。上大岡などへの交通の便が良いことなど若い人が集まっているところなのでしょう。

かねさわ道の案内板
住宅地の中にかねさわ道
かねさわ道の傍に大岡川
上大岡の駅前

しばらくすると道は県道22号線を歩くことになります。ここから上大岡駅までは30分程の舗装道路歩きになりました。

 

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