元箱根バス停10:15-お玉観音10:30-御状石11:30-保存整備記念館11:35-六道地蔵11:45-二十五菩薩11:55-曽我兄弟の墓12:00-東光庵熊野権現旧跡12:15/20-芦之湯三碑12:30-湯坂道入口12:45-鷹ノ巣山13:00/45-浅間山14:05-大平台分岐14:20-湯坂城址15:35-湯坂道入口15:55-箱根湯本駅16:05
湯坂道は鎌倉時代に整備された箱根越えの道です。奈良・平安時代に開かれた足柄古道が富士山の噴火で使用できなくなったことから開かれたもので、近道であったこともあり多くの旅人が使用するようになりました。
江戸時代には交通量が多くなったことから徳川幕府により旧街道の整備が行われました。延宝8年(1680年)には石畳の整備が始まり泥に悩まされることもなくなったようです。
箱根登山バスの元箱根に降り立つと明るい青空の下に二子山がそびえていました。数日前の箱根駅伝では往路のランナーが駆け降りて行ったところです。
元箱根からは芦之湯方面に向かいます。途中から山道に入るとほどなくお玉観音の前にたどり着きました。近くからは箱根旧街道をたどり石畳へと続く道が分かれているようですが我々はお玉が池を回り1号線に戻ることにします。地形図上には小路が書かれていますが木立の中のふみ跡は薄く途中で急斜面を直登することになってしまいました。
車の流れが激しい1号線を登って行くと右手に御状石があります。源頼朝がこの石の上で書状をしたためたと伝えられるところです。さらに車道を登って行くと精進池です。付近には六道地蔵や二十五菩薩の石仏が祀られています。
湯坂道をたどった旅人は付近の荒涼とした景色に地獄を想像したくさんの石造を祀ったのでしょう。覆い堂の建つ六道地蔵は見上げる大きな石仏です。近くには赤い涎掛けを掛けたたくさんのお地蔵さんが祀られていました。
曽我兄弟の墓と言われる五輪塔を過ぎると国道の脇をたどる遊歩道のような道が続きます。降り積もる落ち葉は霜に覆われ歩くたびにカサコソと心地良い音を立ててくれます。
東光庵や朝日丘三碑を越えると湯坂道の入り口にたどり着きました。大きな案内板の先は飛竜ノ滝へと下って行く道です。
明るいカヤトの原の中をたどる緩やかな尾根道はほどなく鷹巣山にたどり着きます。ベンチの置かれた山頂からは明神ヶ岳、明星ヶ岳など箱根を取り巻く山々を見渡せるところです。案内板によるとこの周辺には北条氏の支城の一つ鷹巣城があったとされています。秀吉の北条征伐では徳川家康が鷹巣城を攻略したと伝えられていますがその位置、規模などについては今なお判っていないようです。
明るい尾根道を下り登り返すと浅間山です。小涌谷から登ってくる道を左からは合わせると三角点の置かれた明るいこぶの上にたどり着きます。ベンチの脇の案内板にはこの付近が鷹巣城のあったところと書かれていました。
ここからも明るいカヤトの中の道を下って行きます。木陰になると霜柱が立っているところもありますが緩やかな下りは往時の人にとっても歩きやすいところであったのでしょう。
大平台へと下って行く道を左に分け単調な道に飽きはじめること湯坂山にたどり着きました。ピークとは名ばかりの縦走路の通過点です。地形図には三角点が記されていましたが見付けることはできません。
しばらく下ると登山道は杉林の中を下って行くようになります。登山道には石畳が現れ古い歴史の道だったことが伺ええます。改修なども行われているようすが石がかなり新しいようなのは気のせいでしょうか。
やがて道が緩やかになると湯坂城址です。案内板によると室町時代の豪族、大森氏が築城した山城です。登山道沿いにも土塁や切り堀の跡も見付けることが出来るようです。
ここから湯本まではジグザクを切りながら下る急な坂道です。石畳には落ち葉が積り滑りやすいところです。荒れた急坂を下って行くと早川沿いの国道にたどり着きました。ここまら湯本駅までは土産物屋や旅館などが建ち並ぶ中を下って行くだけです。