箱根関所跡9:30~要害山10:40~屏風山11:00/11:25~甘茶茶屋12:15/35~畑宿下14:00/15~須雲川IC入口15:00
箱根の山を越える東海道、古くは足柄道や湯坂道が利用されていました。江戸時代になると須雲川に沿って小田原と三島を最短で結ぶ「箱根八里」の街道が整備されました。
箱根旧街道と呼ばれ石畳の道や茶店跡などが残る歴史の道で、ハイキングコースとして多くのハイカ―が歩くところです。
箱根関所跡のバス停から屏風山に登ります。ハコネザサが生い茂る山道をしばらく登って行くと稜線へと登る急な木の階段、まっすぐに登って行く道はなかなか厳しい登りです。壁のようにそそり立つことから屏風山の名が付いただろうことは容易に推測できるでしょう。
ここは箱根新期外輪山の一つ、18万年前に激しい噴火活動によりそれまであった大きな成層火山が陥没し箱根カルデラが形成されました。13万年前にはカルデラ内に、流動性に富む溶岩が噴出して鷹ノ巣山や浅間山、屏風山などの楯状火山が出来たとされています。
稜線にたどり着くと雑木林の中の視界が効かない尾根歩きです。地図上に要害山と呼ばれるピークがあるものの登山道の通過点と言うだけで気付かないないまま通り過ぎてしまいました。
たどり着いた屏風山も崩れた山頂標識があるだけで視界は全くありません。ここは小田原北条氏の砦があったとされているところ、ハコネザサが生い茂る山頂周辺には土塁跡があったとされています。
屏風山からは急な斜面を下って行きます。やがて県道を走る車の音が近付くと甘酒茶屋への分岐です。
たくさんの車が止まる駐車場の傍に茅葺の甘酒茶屋、観光客にも人気のところで外国からのお客さんも多いようです。
暗い店の中には大きなテーブル、店の外にも椅子が並べられています。こちらで休んでいる人も多いようでした。
メニューには甘酒のほか名物と言う黒ごま餅やこんにゃく団子など、黒ごま餅は思いのほか大きく食べ応えがありました。
甘酒茶屋からは県道732号線に沿うようにして続く箱根旧街道を下って行きます。この道はかつて東海道の街道歩き(箱根湯本から箱根町港)で登ってことのあるところ、急な坂道に汗をかきながら石畳の道を登ってきた記憶が残るところです。
見晴らし茶屋付近から七曲りと呼ばれるジグザグを切りながら下って行く道、旧街道はそれをショートカットするように階段や石畳の道が続いています。急な坂道には橿木坂、西海子坂などの名前が付けられていました。
現地の案内板によると「石畳の道は関東大震災(1923年)や北伊豆地震(1930年)など度重なる地震で崩壊、埋没したが、残された一部の石畳を再現し、自然歩道として整備した・・」と紹介されています。
今歩いている古い石の上を江戸時代の旅人も歩いていたということなのでしょう。また案内板には石畳の構造、雨水の排水路として構造なども紹介していました。
たどり着いた畑宿、寄木細工のお店屋さんなど立ち並ぶところです。寄木細工のお店屋さんの壁にはかつて東海道を行き来した旅人のイラストが描かれた東海道五十三次の案内図が建っていました。
畑宿のバス停には20人近くの若者がバスを待っています。寄木細工のお店を訪れた人か鷹ノ巣山から飛竜の滝を見てきた人か、休日に途中のバス停から多くの人が乗るのはなかなか大変なのかも知れません。
ここからは再び石畳の道を下って行きます。大澤坂を超えたところには接待茶屋の案内がありました。箱根八里を往還する旅人や馬に湯茶や飼葉を施したと言いますから今で言う道の駅と言ったところでしょうか、その運営もまたなかなか大変だったということでしょう。
やがて石畳の道は県道から離れ須雲川を渡ることになります。増水時などに利用できるよう渡渉地点の先には鉄製のつり橋がありました。
ここからは須雲川自然探勝路、緑に包まれた緩やかな遊歩道をしばらく下ると県道に出ることになります。さらにしばらく進むと箱根新道の須雲川インターです。この先湯本までは舗装道路を約4km、まだ1時間ほどかかりそうです。
須雲川インター近くから1時間に1本と言う湯本行のバスを待つことにしました。