矢倉沢9:15-600m付近10:20/40-矢倉岳11:20/12:00-万葉公園13:15-足柄城跡13:45/50-足柄駅15:25
足柄峠は矢倉往還が通る峠道で、足柄古道と呼ばれる歴史の道が残っています。またこの峠には北条氏康によって築かれた足柄城の遺構が残り今も歴史の匂いが色濃く残るところです。
矢倉沢往還は江戸時代に整備された街道です。江戸城の赤坂御門を起点にして相模国から足柄峠を経て駿河国沼津宿へと続く道です。大山への参詣道の一つであることから大山街道、大山道などとも呼ばれていました。もともと律令時代に畿内と東国を結ぶ街道として開かれたもので、富士山の噴火で使用できないこともあったことから鎌倉時代には箱根湯坂道が開かれ、江戸時代になると箱根東坂 、西坂が本道になり東海道の脇往還としても機能していました。
関本から箱根登山バスでたどり着いた矢倉沢は梅の花が咲いています。今年は春の訪れが早いようですでに河津桜は満開を迎えていると言うニュースが伝えられています。
この周辺には今も歴史の匂いが色濃くの残っているようです。案内板によるとバス停近くには矢倉沢関所跡、道端にはたくさんの石仏もあると言います。
道標に導かれながら道を進むと神社の石段の傍に祠が祀られています。その傍の石碑には「上求菩提・下化衆生」、仏教の用語で自利、利他の菩薩行を表す言葉とか、初めて見るもののようです。
その先を右に折れ急な舗装道路を登って行くと猪避けの柵があります。その先からは落ち葉に覆われた山道が始まります。この時期、このコースを登る人は多くないようで急な坂道は厚い落ち葉に覆われていました。
視界の効かない杉林の急坂をジグザグに登って行きます。やがて道は木の葉を落とした雑木林の中を登って行くようになります。
途中で一休みしたのち再び雑木林の急坂を登って行きます。左手にはシルエットとなった明神ヶ岳の稜線、その山肌は北斜面のためか雪が張り付いているようでした。
雑木林の尾根道は木の階段なども整備されていますが中々疲れる急坂です。しばらく急な登りに息を切らせると展望が広がる山頂にたどり着きました。目に前には真っ白な雪を抱く富士山、左手には噴煙を上げる大湧谷、神山や金時山、明神ヶ岳など箱根の山々がそびえています。その斜面には寒そうな雪が張り付いています。
山頂からは足柄峠に向かうことにします。カヤトの斜面は霜が融けかなり滑りやすくなっています。急な坂道に足を取られそうになりながらたどり着いた分岐は清水越、真っ直ぐ進む道は21世紀の森へと下っていく道です。我々は道を左に折れ暗い杉林の中を下って行きます。
暗い登山道は緩やかに登り返しながら万葉公園へと登って行きます。視界が開けると青空の下に矢倉岳がそびえていました。
万葉公園には足柄山や足柄地方を詠んだ歌が刻まれた石碑があります。明るい尾根をたどる遊歩道は地蔵堂から登ってくる県道を合わせ足柄峠へと続いています。
足柄峠には足柄関の関所跡があります。昌泰2年(899年)に古代の足柄関が設置されたと推定される場所ですがその真偽のほどは不明のようです。関所跡近くからは足柄古道が地蔵堂へと下っていました。
足柄聖天堂の傍には足柄城跡があります。天文5年(1536年)頃に北条氏綱によって築かれた山城で本郭から2の郭、3の郭などの曲輪と空掘が残っています。遊歩道として整備された道は4の郭、5の郭へと続いています。深い空掘をめぐらせた規模の大きな山城であったことがうかがえるところです。
県道沿いには石碑のほかお地蔵さんが祀られています。目立たぬ道標に導かれながら県道を分かれると足柄古道を下ることができます。あまり人が歩いていないようで落ち葉が降り積もる道はかなり荒れていました。
やがて道は県道を下って行くようになります。水飲み沢を越える不動之滝へと向かう林道の分岐です。途中道が崩壊しているのか3月末まで全面通行禁止と言います。
仕方なく林道を下って行くと大名号塔が建っていました。日本で一番大きな石佛と言われ唯念寺を開いた唯念上人の筆によるものとか、天保時代の飢餓や疫病を救おうと建てられたものです。
たどり着いた足柄駅はJR東海の無人駅です。電車の本数も少ない御殿場線は単線です。何度か停車を繰り返しながら国府津の駅に向かいました。