青梅駅8:55~住吉神社9:05/15~延命寺9:20/25~宗建寺9:25/30~釜の渕公園10:00/15~清宝院10:30~金剛寺10:40/45~明白院11:40/50~宮ノ平駅11:55
大多摩ウォーキングトレイルはかつて多摩エリアに作られた16のトレールコースです。これらのコースには西多摩地域広域行政圏協議会などが設置した古い案内板が整備されているようです。
しかし奥多摩駅から古里駅を結ぶコースや、奥多摩むかし道はガイドブックなどにも紹介されているものの、それ以外のコースは歩く人も少ない忘れられた道のようです。
まだ夏の暑さも厳しい中、曇り空ですが日中は30℃になると言います。今日は青梅駅から始まる大多摩ウォーキングトレイルAコースを歩いてみることにします。
青梅のレトロな町並みは赤塚不二夫シネマチックロードなど古い昭和の街がイメージされているところです。しかし平日と言うこともあり訪れる人は少ないようです。また正月には青梅七福神めぐりの人が訪れるところです。
青梅駅近くの駐車場に車を止め住吉神社に向かいます。住吉神社は青梅村の鎮守社として三田弾正氏宗、政定父子が崇敬したと言います。
急な石段を登ると拝殿です。境内には稲荷社や小さな祠が祀られていました。
緩やかな裏参道を下ると大多摩ウォーキングトレールの緑色の案内板が建っています。2番目の延命寺までは300mとか、白い多摩青梅七福神の旗に導かれ青梅街道を渡ると程なく延命寺です。
延命寺は臨済宗建長寺派の寺院、青梅七福神の大黒天を祀るお寺です。境内には安産子育ての呑龍堂や天神社、小さいが木造の五重塔があります。
呑龍上人は貧しい子供を手厚く保護したことから、子育て呑龍と呼ばれ民衆から尊敬されたと言います。呑龍上人を祀るお堂には古い絵馬などが飾られていました。
延命寺の近くには境橋があります。案内板によると青梅村と千ヶ瀬村の堺にかけられた石橋でこの付近は延命寺通りと呼ばれていたとか、案内板の側には石橋供養塔がありました。
3番宗建寺は臨済宗のお寺で青梅七福神の毘沙門天を祀るお寺です。
境内には小さな三重塔、その傍には幾つかの石仏があります。その一つ青面金剛の庚申塔は石面が丸い全国的にも珍しいものとか、また中里介山の大菩薩峠に登場するという義賊裏宿七兵衛の墓もあると言います。
長らく伝説上の人物とされていましたが谷合氏見聞録にその名があるようで実在の人物と言われています。一夜のうちに甲斐、秩父、相模を引き返しては、盗んだ金品を貧者に恵んだとされ、足が速いとされことから青梅マラソンのランナーが訪れるようです。
大きく蛇行した多摩川の河原には釜の渕公園があります。鮎美橋を渡ると良く整備された公園、郷土博物館近くの道からは馬引峠へと続く道が分かれています。
広い河原は水遊びをする家族連れ、ディキャンプのテントも張られています。上流に小保内ダムがあり放流の危険があることから宿泊は禁止とされていました。
柳渕橋の側には駐車場があります。河原でバーベキューを楽しむのか、家族連れが荷物を載せたキャリーカーを引いていました。
駐車場から住宅地の中を登る舗装道路、曇っているものの気温も上がっているのか汗が噴き出してきます。
車の流れも多い吉野街道を超えると清宝院の石段です。真言宗の寺院で本尊の不動明王像は文政年間に成田山新勝寺の本尊を模写したものです。本堂には精緻な彫刻を施した成田山の扁額が掲げられていました。また賽銭箱には裏正町と書かれています。この周辺は裏宿町、裏柾町と呼ばれていたようです。
ここは青梅七福神の恵比寿天を祀るお寺です。境内には毘沙門天や大黒天、神変大菩薩の祠、牛頭天王、稲荷社の祠も祀られていました。
清宝院から住宅地の中をしばらく歩くと金剛寺です。金剛寺は東国花の寺百寺のお寺、また奥多摩新四国八十八ヶ所に選ばれたお寺です。境内には季節が過ぎても黄色に熟しない梅の古木があり青梅の地名ともなったと言います。
ここからは青梅の住宅地の中を歩いていきます。暑い日を浴びる舗装道路歩きに思わず汗が噴き出してきました。たどり着いた明白院、青梅七福神の福禄寿を祀るお寺でした。茅葺の山門は安土桃山時代の形式で青梅市重要文化財指定されています。
かなりの暑さでバテ気味、これから奥多摩までの道を歩くのは大変というものです。今日は近くの宮ノ平駅から車を置いた青梅駅に戻ることにしました。