清宝院は真言宗のお寺です。青梅七福神の恵比寿天を祀るお寺です。
清宝院の開基などについては不詳ながら、鑁盛法印が明治12年(1879年)当地へ移転再建したといいます。
車の流れも多い吉野街道を超えると清宝寺の石段です。真言宗の寺院で本尊の不動明王像は文政年間に成田山新勝寺の本尊を模写したものです。本堂には精緻な彫刻を施した成田山の扁額が掲げられていました。また賽銭箱には裏正町と書かれています。この周辺は裏宿町、裏柾町と呼ばれていたようです。
境内には毘沙門天や大黒天、神変大菩薩の祠、牛頭天王、稲荷社の祠も祀られていました。
七福神の一神。唯一の日本の神様。伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冉命(いざなみのみこと)の第三子と言われ、満三歳になっても歩かなかったため船に乗せられ捨てられてしまった。やがて漂着した浜の人々の手によって手厚く祀れれたのが信仰のはじまりと伝えられている。
左手に鯛をかかえ右手に釣竿を持った親しみ深いお姿の、漁業の神で、特に商売繁昌の神様としても信仰が厚い。
古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。
黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。