住吉神社 


 寺社の種類:旧郷社
 創建の時期:応安2年(1369年)
 御祭神:上筒之男命、中筒之男命、底筒之男命、神功皇后
 本殿の形式:変形春日造り
 所在地:東京都青梅市住江町12
 訪問日:2022年9月11日

 

応安2年(1369年)延命寺の開山季竜が同寺創建にあたり、摂津国住吉大社の神を勧請した神社です。青梅村の鎮守社として三田弾正氏宗、政定父子の崇敬を篤め、明治6年村社に、明治12年郷社に列格していました。

住吉神社の鳥居
鳥居の先に石段
急な石段から振り返ると
境内に歌碑
手水舎
住吉神社の拝殿
拝殿には精緻な彫刻
拝殿の神額
拝殿の奥に本殿
境内の稲荷社
境内に案内板
境内に摂社
境内の式場か
裏参道

拝殿天井に描かれた雲竜図は画家小林天淵の筆になるもので、青梅市の有形文化財に指定されています。

 

 神功皇后(じんぐうこうごう)氣長足姫尊・息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)

仲哀天皇の皇后、父は開化天皇の曾孫、母は新羅から但馬に来住したという天之日矛(あめのひぼこ)の玄孫たかぬかひめ。

三韓征伐の中心人物で仲哀天皇が熊襲を討つため九州に赴き筑紫の橿日宮で急死すると、妊娠中にもかかわらず武内宿禰とはかり新羅に遠征したとされています。

この遠征により百済と高句麗も日本に帰服ししました。皇后は大和に戻ってから応神天皇を皇太子に立てて約 70年間皇太子の摂政としてみずから政治をとったと言われています。

 

 仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)足仲彦尊命・足仲津彦尊命(たらしなかつひこのみこと)

第14代天皇(在位:192年1月11日~200年2月6日)、日本武尊の第2子、母は垂仁天皇の皇女・両道入姫命(ふたじいりひめのみこと)、皇后は神功皇后

熊襲を討つため神功皇后とともに筑紫に行幸したとき、まず新羅を討つべしという神の託宣にそむいたため神の怒りに触れて戦陣で没したとされています。陵墓は大阪府藤井寺市藤井寺4丁目の恵我長野西陵。

 

 武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)

記紀によれば孝元天皇の子孫、日本最初の大臣です。神功皇后の新羅征伐に従軍し、景行、成務、仲哀、応神、仁徳の二百数十年間の天皇に仕えたと言います。蘇我、葛城、平群(へぐり)、巨勢(こせ)の4氏の祖とも言われています。

 

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