水根9:15~六ッ石山登山口9:45~西久保の切り返し~馬の水くみ場11:10~しだくら吊り橋11:15~惣岳の不動尊11:25~白髭神社11:50/55~不動の上滝12:10/40~槐木(さいかちぎ)13:15/30~羽黒三田神社13:45~奥多摩駅14:00
奥多摩むかし道は旧奥多摩街道と呼ばれ、甲州街道の裏街道の一つとして利用されていた道です。氷川から西久保間に小河内ダム建設用に作られた道路が昭和20年に一般道として開放され、現在の国道411号線となりました。それまでは小河内の生活の道として多くの人に利用されていた道路と言います。
奥多摩駅から丹波方面へのバスはたくさんの人で一杯、しかし登山口の水根で降りたのは我々のほか数名でした。数日前のNHKで奥多摩むかし道の紹介を行っていましたが、多くの人は奥多摩駅側から登って行くようでした。
舗装道路をしばらく登ると道は右手に、その先には六ッ石山の登山道が分かれています。民家の中に青目不動尊を祀る石段がありましたが休館中のようです。
登山道は小さな沢を超え紅葉が始まった山腹を進んでいきます。右手は急な崖、大雨では落石などで通行止めにもなるところです。
中山の山上集落の先には青空の下に色づき始めた奥多摩の山々が見えていました。国道411号線は中山トンネルからむかし道の山側を走るようになります。
左手の林の中にはコンクリートの基礎だけが残っています。中にあった立木は幹も太く廃屋になってからかなりの年月が経っているようです。小河内ダムの建設に関係があるのでしょうが良く判りませんでした。
西久保の切り返しからは舗装道路のなだらかな道が続くようになります。途中には虫歯地蔵や牛頭観音、馬の水のみ場など古い街道の名残が残っています。道路沿いには朽ちかけた廃屋も目立ちます。買い物なども難しいこのような場所での生活はなかなか難しいのでしょう。
多摩川に架けられたつり橋はしだらくのつり橋、2人以上同時には渡らないようにとの注意書きがあります。かつては杉丸太を葛で束ね架橋したといいますがなかなか大変だったようです。
道端には惣岳の不動尊があります。この周辺が惣岳渓谷と呼ばれるところとか、案内板によると明治40年の大洪水で、しだくら谷から多くの巨岩が押し出され「惣岳の荒」と呼ばれる渓谷美を作り出したと言います。
民家の狭い畑には黄色く色付いたゆず、無人の店を出している家も多いところです。早速ゆずとキウイ、それにヨモギ餅を買いました。担いできた小さなザックはすぐに一杯になってしまいました。
目の前には紅葉、右手には水しぶきを上げる多摩川の流れです。耳神様や弁慶の手抜き岩などを超えると白髭神社です。案内板によると社殿の傍にオーバーハングする岩壁は高さ5mほど、石灰岩の逆断層でかつて多摩川の河床が高かったとき下部の泥岩が浸食されたものと言います。またご祭神は白髭大神、多くの白髭神社は猿田彦を祀っています。ここの神社は神社庁には登録されていないようで詳しくは判りませんでした。
秋色に染まる斜面に続く境の集落、この下は栃沢が多摩川に流れ落ちるところです。多摩川に架かる境橋は御前山の登山口となっているところです。
集落を過ぎると中沢、30m程の岩壁からは不動の上滝が水しぶきを上げて流れ落ちています。この傍の広場に腰を下ろし少し遅い昼食にしました。
僅かに歩くと檜村です。まっすぐ進む道は国道411号線の橋詰バス停です。ここからは急な石段を登って行きます。
左手には小河内ダムの建設に使われた小河内線の架橋、往時はここを蒸気機関車が資材などを積んで走っていたのでしょう。
僅かに歩くと槐木(さいかちき)の休憩所です。サイカチはマメ科の広葉樹で5月から6月に黄緑色の花を付けると言います。ここは荷を背負った旅人の休憩場で、近くには馬頭観音を祀るお堂がありました。
道端には観音様を中心にたくさんの石仏が祀られています。ここから山道を下って行くと小河内線の架橋が谷を渡っています。廃線からすでに70年ほどたっているのでしょうが枕木や線路などもまだ残っています。
紅葉に包まれた雑木林をたどると羽黒坂です。坂の途中には見上げる長い石段の上に羽黒神社が祀られていました。
坂を下ると奥多摩の町並み、街角には奥多摩むかし道の案内版が建っています。日原渓谷に向かう県道を左に分けると氷川大橋、その先は程なく奥多摩駅です。
朝はまだ空いていた奥多摩駅の駐車場はすでに満車です。ここは奥多摩町役場の駐車場も兼ねていますがハイキングなどに訪れた人の車も多いようでした。