足柄峠に祀られた歓喜天を祀る寺院で浅草聖天、生駒聖天とともに日本三大聖天尊の一つに数えられます。
案内板によりと本尊は大聖歓喜双身天の石像でかつては京都に祀られていました。その後、海に流された仏像は相模国の早川に流れ着き、この地で弘法大師により足柄山に奉納されたと伝えられています。
境内には熊にまたがった金太郎の石像があります。また朽ちかけた欅の古木は安産、子宝の神木で、平成11年の大風で倒れ現在は根の部分のみが残っていました。
禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。
平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。
頭は象身体は人間の姿をした仏法守護神。もとインド神話の魔王でのち仏教にとり入れられたもの。単身像と双身像とあり、双身像は男神と女神とが抱擁する姿をとることが多い。夫婦和合、子宝の神として信仰される。
頭は象身体は人間の姿をした仏法守護神。もとインド神話の魔王でのち仏教にとり入れられたもの。単身像と双身像とあり、双身像は男神と女神とが抱擁する姿をとることが多い。夫婦和合、子宝の神として信仰される。
平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。
鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。