東京都台東区浅草にある浅草神社の末社です。
『安政元年(1854年)に創建されました。江戸の町火消の親分であった新門辰五郎の妻が重病になった際、京都の伏見稲荷大社に祈願したところ、病気が回復しました。その後、感謝の意を込めて伏見稲荷大社から祭神の御分霊を勧請し、翌年に社殿を建立したのが始まりです。
「被官」という名称の由来は明確ではありませんが、「官を被る」という意味から、就職や出世に御利益があるとされています。』(copilot.2025/6)
《 被官稲荷社》 現地案内板
安政元年(一八五四)、新門辰五郎の妻女が重病で床に伏したとき、山城国(現、京都府南部)の伏見稲荷社に祈願した。その効果があって病気全快、同二年、お礼の意味を込め、伏見から祭神を当地に勧請し、小社を創建して被官稲荷社と名付けた。名称の由来は不詳だが、被官は「出世」と解せば良いという
辰五郎は上野寛永寺住職輪王寺宮の家来、町田仁右衛門の養子。本姓は町田であった。輪王寺宮舜仁法親王が浅草寺伝法院に隠居し、上野へ行くのに便のいい新門を造った。その番を命じられたので、新門辰五郎と呼ばれた。辰五郎は町火消十番組の組頭としても、多彩な活躍をした。
社殿は一間社流造、杉皮葺。創建以来のもの。開口約一・五メートル、奥行約一・四メートルと小さいが、覆屋を構えて保護している。覆屋は大正期の建築であろう。社前には、「安政二年九月立之 新門辰五郎」と刻む鳥居ほかがある。
平成四年十一月 台東区教育委員会
古事記、日本書記に登場する神です。須佐之男命と神大市比売の子です。農耕の神、商工業の神、商売繁盛の神としても信仰されていて全国の稲荷神社で祀られています。
日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。
高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。