古くから此の地に鎮座し、忍岡稲荷が正しい名称ですが、石窟の上にあった事から穴稲荷とも云われていました。
承応3年(1654年)、天海大僧正の弟子、本覚院の住僧晃海僧正が霊夢に感じ廃絶していたお社を再建し上野の山の守護の神としました。幕末、彰義隊の戦いでは最後の激戦地(穴稲荷門の戦)として知られています。
境内には伊藤博文が揮毫した神徳惟馨(しんとくこれがぐわし)の神額がありました。
古事記、日本書記に登場する神です。須佐之男命と神大市比売の子です。農耕の神、商工業の神、商売繁盛の神としても信仰されていて全国の稲荷神社で祀られています。
日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。
高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。