橘稲荷神社 
東京都中央区日本橋人形町にある神社です。江戸城内から将軍家御典医・岡本玄冶に下賜され、岡本玄冶の邸があった当地へ移されたと伝えられています。岡本玄冶の元姓が橘に因んで、橘稲荷と称されていたと言います。
このあたり江戸期には新和泉町といわれしたが、将軍家御典医・岡本玄冶の部があったことから、一帯を玄冶店と俗称した。
当稲荷ははじめ御殿山にあったものが、のちに江戸城内へ移り、さらに玄冶に賜わって当地へ移された。
稲荷名の橋は岡本家の姓に因んだとされる。
安政六年の尾張屋清七板古地図では、現在地よりやや北側に記されている。
数百年に亘り、素朴な信仰の対象として土地の人々により守り継がれて来た。特定の個人や企業の所有ではなく、町のお稲荷さんとして親しまれている。
大正以降、運よく震災・戦災を免れて来たが、老朽化の為このほど地元町民多数の浄財により再建された。
平成二年八月吉日 橋稲荷御造営奉賛委員会
古事記、日本書記に登場する神です。須佐之男命と神大市比売の子です。農耕の神、商工業の神、商売繁盛の神としても信仰されていて全国の稲荷神社で祀られています。
日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。
高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。