秋葉原のビルの谷間にある稲荷神社です。防災目的の火除け地に建てられた神社です。
Copilotによると、もともとは防災目的の火除け地に建てられた神社で、火伏せの神として信仰されています。また、講武所という武芸の訓練所の付属地であったことから「講武」と名付けられました。周囲の地域が花街として発展したため、水商売繁栄などのご利益もあります。
《講武稲荷神社縁起由来》 外神田旅籠町会
当社は旅籠町三丁目にあり安政四年の鎮座にして神体は宇之御魂命なり、一説に運慶作なりと伝ふ、昔時大貫伝兵衛なるもの当講武所附属地の払下を出願し其の許可を得んが為め浅草橋場なる長昌寺に安置せる此稲荷神社に参詣し、祈念怠ざりしかば遂に安政3年5月22日を以て払下免許となりたる由、これが為翌年社祠を造営し其の本体を橋場より本社に移したるを以て創始として居る今尚ほ?年5月22日を大祭日としてゐる。
尚段の社域は大正12年の震災の際焼失せるも其後区画整理により現在地に安置せられたり。一般に火伏せの神なりと其の霊の灼さを伝へられ更に此の火伏護神と共に花街の繁昌に貢献顕著だと伝ふので近隣の三業関係人は勿論遠く向島辺から参詣人が多く時ならぬ賑かさも有りと申されて居る。(古文のま、)
戦災で復興・昭和五十五年改装・このたび銅板にて由来板を新装しました
古事記、日本書記に登場する神です。須佐之男命と神大市比売の子です。農耕の神、商工業の神、商売繁盛の神としても信仰されていて全国の稲荷神社で祀られています。
日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。
高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。