三柱神社 


 寺社の種類:神社
 創建の時期:-
 本殿の形式:-
 所在地:神奈川県横浜市泉区上飯田町840
 訪問日:2022年5月4日

 

上飯田の下組地域内に祀られていた神明社、日枝社、天満宮三つの社を、大正元年(1912年)に寄宮し、現在の地に社殿を建てて三柱神社としたと言います。

三柱神社の鳥居
三柱神社の鳥居と境内
三柱神社の拝殿
拝殿
三柱神社の神額

境内には集会所があり地域自治活動の中心になっています。

 

 《三柱神社の由来》現地の案内板

当社は、上飯田下組といわれた地区内に古くから祀られていた三つの神社を大正元年十二月に寄宮して、三柱神社としたのが初めである。

(中和田郷土誌より)

祭神は、大山咋命(山王社)、豊受姫命(稲荷社)、菅原道真(天神社)が祀られています。

山王社

上飯田町字島週一八八番地に祀られておりました。

稲荷社

上飯田町字溝下三八五番地に祀られておりました。

当時、大きな赤松があったと伝えられています。

今、稲荷坂と呼ばれているところです。

天神社

上飯田町字天神山一一一八番地に祀られておりました。

大正元年十二月、持田初次郎、宮崎芳松、持田寿作、持田元治、麻生喜作、中野林之助、野渡儀兵衛の各氏が古くからあった三社を現在の地に寄言しました。地域の人々が集会所と呼んでいる三柱神社です。

各氏は、境内に記念碑を建て、次のような文面を後世に伝えています。

当部落統一上、集会所設置の議が熟し、各氏は敷地の選定に苦しんだが、地主の利益を捨て、便益に資せんと、土地を譲与されました。

その徳を頌し、併せて一般寄付の方々の名前を記し、記念としました。

畑……一反四款二十九歩(一四八六平方メートル) 持田寿作

畑……四款四歩(四一〇平方メートル) 中野林之助

現在の鳥居と参道は昭和三十一年、拝殿と奥の院は昭和四十四年氏子の寄付によって再建したものです。

平成二十六年十二月吉日

 

 豊受大神(とようけおおかみ)・豊宇気毘売神(とようけひめ)・豊受大御神(とようけのおおみかみ)

食物の神さまとして天照大御神の御饌の神として伊勢神宮に下宮に祀られる神様です。

 

 大山咋神(おおやまくいのかみ)

大年神(おおとしかみ)と天知迦流美豆比売(あまちかるみずひめ)との間に生まれた神で、須佐之男命(すさのうのみこと)の孫にあたります。松尾さまの愛称で全国的に崇められる酒づくりの神です。

 

 菅原道真(すがわらのみちざね)

平安前期の公卿、学者、文人。845~903年。宇多天皇の信任が厚く、藤原氏を押さえるため藤原基経の死後蔵人頭(くろうどのとう)に抜擢されましたた。延喜元年(901年)藤原時平の中傷により大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷され配所で没しました。

のちに天満天神として崇拝されました。

 

 天照大神、天照大御神(あまてらすおおかみ)大日女尊(おおひるめのみこと)・大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)

日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。

 

 素戔嗚尊・須佐之男命(すさのうのみこと)

日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。

高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。

 

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