大船駅10:45-0h50m-六国見山森林公園入口11:35-0h05m-六国見山11:40/12:00-0h35m-建長寺12:35/50-0h10m-半僧坊13:00/05-0h40m-大平山13:45/50-0h10m-鎌倉宮分岐14:00-0h45m-鶴岡八幡宮、あら珠・昼食14:45/15:40-0h20m-鎌倉駅16:00
鎌倉の市街地を囲むように連なるように丘陵の上には鎌倉アルプスと呼ばれるハイキングコースがあります。
鎌倉アルプスだけでは歩き足りないようなので大船駅から六国見山ハイキングコースと鎌倉アルプスを結ぶ軽いハイキングに冬晴れの一日を過ごすことにしました。
大船駅前の繁華街を通り抜けると閑静な市街地をたどる道になります。付近には鎌倉街道の中ツ道が通っていたようです。中ツ道は鎌倉の巨福呂坂あるいは亀ヶ谷坂を越えて戸塚へ、永谷、二俣川を経て府中で上ツ道に合流する古い街道です。
道端には離山富士見地蔵尊と刻まれた石柱が建つ地蔵堂や石塔が祀られていました。このお地蔵さんは鎌倉周辺で2番目に古いお地蔵さんと言います。
ここから六国見山森林公園の入口までは道標もなく判り難いところです。たどり着いた住宅地の中に登山口の急な石段がありました。
散策路をひと登りすると展望が開けたコブにたどり着きます。六国見山は安房、上総、下総、武蔵、相模、伊豆の六つの国を一望できたことからその名が付けられたところです。浅間大神の石碑が建つ展望デッキからは目の前に霞んだ富士山を眺めることができます。
山頂は雑木林の中をしばらく進んだ所にあります。三角点の脇には私製の山頂標識、サイコロを加えると6になるようですが麻雀パイは何を意味しているのでしょうか。
雑木林を下って行くと北鎌倉へと下る舗装道路です。しばらく下るとアジサイで有名な明月院の山門、ここからはたくさんの観光客と一緒に建長寺に向かいました。
建長寺は鎌倉五山第一位に選ばれた古刹です。たくさんの観光客と一緒に総門をくぐると参道の先に三門がそびえ立っています。柏槇の古木の先に建つ仏塔には本尊の地蔵菩薩が祀られています。
室町時代の作と言われる古い仏像はかってこの地にあった心平寺の本尊と言います。禅寺の本尊はお釈迦さまが多いようです。地蔵菩薩が祀られているのは珍しいものです。
建長寺の前の道は七切通の一つ巨福呂坂をたどり鎌倉へと続く道です。太平記にも伝えられる鎌倉幕府の滅亡の時、新田義貞の軍勢は巨福呂坂の切り通しから鎌倉を目指したと言います。今は隧道が通る道も往時は往来に難儀するところだったようです。
建長寺からは半僧坊に向かいます。参道を進むとたくさんの石碑が立ち並ぶ急な石段、その上にはカラス天狗の石像が祀られていました。急な石段に息を切らると赤い奉納提灯が掲げる半僧坊の本堂です。展望が広がる本堂の前からは建長寺の伽藍、その先には相模湾が霞んでいます。富士見台からは木立の先に霞んだ富士山を見付けることもできました。
ここからは鎌倉アルプスのハイキングコースです。スダジイなどの明るい雑木林の中をたどるハイキングコースには子供連れや初老のハイカー、最近ハイキングを始めたのか若者のパーティで賑わっています。
よく踏まれたハイキングコースには石仏なども見付けることができます。覚園寺へと下る道を右に分け小さなアップダウンを繰り返すと鎌倉ゴルフ場傍のコブの上にたどり着きました。ここは鎌倉市最高点となるところで基準点の金属標が2つ、その先は広い草地でお弁当を広げる家族連れも多いところです。
天園休憩所の先から道を右に折れると鎌倉宮へと下る道です。紅葉谷と呼ばれ秋には色付いたモミジに彩られるところです。やがて暗い沢沿いの道を下ると程なく亀ヶ渕橋にたどり着きました。
近くでは永福寺の復元工事が行われていました。永福寺は源頼朝が奥州合戦に散った将兵の冥福を祈るため中尊寺の二階大堂、大長寿院を模して建立したと伝えられるところです。二階堂の地名はこの寺院から名付けられたと言います。
たくさんの観光客やハイカーで賑わう鎌倉の市街地を鶴岡八幡宮に。ここからは小町通りを散策し自宅に戻りました。