GPSLogは一部欠測しています。
鎌倉駅9:00-頼朝の墓、島津忠久の墓9:20/25-大きな岩9:50-西御門からの道10:10-朱垂木やぐら10:20-天園ハイキングコース10:25-大平山10:55/11:10-天園茶屋11:20-鎌倉霊園分岐11:40-番場ヶ谷12:00-御坊橋12:25-大江稲荷神12:30/40-明王院12:55/13:00-荏柄天神社13:30/40-鎌倉駅14:20
何時もたくさんの人で賑わう鎌倉アルプスにも訪れる人が少ない踏み跡みの道があります。鎌倉幕府を開いた源頼朝の墓から天園へと続く尾根道もそのようなふみ跡の一つです。
観光客や学校遠足の学生などで賑わう鶴岡八幡宮を越え源頼朝の墓に。急な石段を登ると頼朝の墓としては少し小ぶりな宝篋印塔が祀られています。
近くには大江広元、毛利季光、島津忠久の墓が並んでいます。島津忠久は鎌倉幕府の御家人で薩摩の戦国大名、島津氏の始祖です。
源頼朝より薩摩、大隅、日向の守護職に抜擢されていることから頼朝の落胤という話も語り継がれています。
登山道は左手の尾根道を緩やかに登って行きます。枯葉に覆われたふみ跡は左手に西御門の家並みを見ながら緩やかに登って行きます。
やがて尾根道は大きな岩に行く手を阻まれます。左手の岩の傍を下って行くと岩の下にやぐら、その先の道は不明瞭になっています。仕方なく大きな岩の右手をよじ登りましたがネットなどで調べると左手のやぐらの先には回り込むように登って行くふみ跡があるようです。
木の根につかまりながらよじ登った岩の先はふみ跡も薄い稜線です。岩っぽい急坂を登って行くと小さなピーク、右手のふみ跡をたどると西御門から登ってくるハイキングコースにたどり着きました。
緩やかに登って行くハイキングコースは朱垂木やぐらの傍を登って天園コースにたどり着きます。道端の石柱には左覚園寺道と刻まれています。今は覚園寺へと下る道は見当たらないようですがかつては覚園寺の沢に下って行く道もあったのでしょう。
天園のハイキングコースは弘法大師の石仏が祀られた岩場の脇を越え覚園寺への分岐へ、さらにしばらく進むと展望が開ける大平山の頂にたどり着きました。登って来た初老のハイカーは栃木の一行、近く行うハイキングの下見に来たと言います。栃木から鎌倉まではかなり遠いと言っていました。
大平山からは天園茶屋に向かいます。天園茶屋の展望台からは鎌倉の街並みの先に白い雪を被った富士山がそびえていました。
天園茶屋の先で獅子舞や瑞泉寺へと向かう道を分け金沢方面への道を進むことにします。先日下った番場ヶ谷へと下る道を右に分け、横浜霊園を左手に見ながらしばらく進むと鎌倉霊園へ下り道の分岐です。この分岐には道標もなく地図だけが頼りの判り難い分岐でした。
暗い杉林の中をたどる道をしばらく進むと鎌倉霊園へと下る急坂、滑りやすい道には固定ロープが張られていました。
たどり着いた広い霊園には墓参に訪れる人も何人か、地形図では紅葉ヶ渕へと下って行く道もあるようですが見付かりません。舗装道路の鉄柵の先にあるふみ跡をたどると送電塔です。地形図上では点線の道があるようですが藪に覆われふみ跡さえもありません。草の根につかまりながら10mほどの藪を下ると紅葉ヶ渕へと下っていく登山道にたどり着きました。
ここからは紅葉が渕への登山道です。浅い渡渉をしながらたどり着いた紅葉が渕の先には鎌倉霊園へと登って行く女男坂が分かれていました。
しばらくすると女男坂から単独行の男性が下ってきました。鎌倉霊園の中を真っ直ぐに下ってくるとこの道に下れるようです。
さらに下ると番場ヶ谷の民家です。吉沢川に沿った舗装道路を下ると御坊橋にたどり着きました。ここからは観光客でにぎわう鎌倉の街の中を鎌倉駅へと向かうことにしました。