鎌倉駅12:10-獅子舞入り口12:55-サブコース入口13:00-天園13:25-大平山13:40/14:05-覚園寺道入口14:35-公暁悲劇の道14:50-鶴岡八幡宮15:20-鎌倉駅15:35
今回も鎌倉アルプスのふみ跡の道ち歩きです。秋には紅葉で彩られる獅子舞のハイキングコースには訪れる人も少ないサブコースがあります。今日はこのサブコースと天園から公暁悲劇の道へと下る道を結んでみることにします。
観光客や学生などで賑わう小町通りから鶴岡八幡宮、鎌倉宮を越え獅子舞谷の入り口に、二階堂川には真っ赤なヤブツバキが咲いています。
獅子舞谷のハイキングコースを登って行くと右手の沢に赤いテープがあります。GPSではサブコースの入り口はこの付近と思い落ち葉に覆われた沢を登り始めます。苔むした石には足跡などもあるようですが次第に枯れ枝などが行く手を遮り始めます。
左手の斜面をわずかに登ると明瞭なふみ跡の道が現れます。最初から思もしない道間違い、サブコースの入り口は上流側に少し登って所にあったようです。緩やかに登って行く道はJRの送電塔下を通り抜け雑木林の尾根道を緩やかに登って行きます。木立の先には鎌倉カントリークラブの白い建物も見えていました。
貝吹き地蔵へと下って行く道を右に分け、アオキの木が目立つ道を登って行きます。やがてハイカーの声が聞こえてくると天園休憩所の分岐です。
ここからはたくさんの人が行き交うハイキングコースです。岩っぽい大平山の山頂からは低く連なる三浦アルプスの山々、鎌倉カントリークラブのクラブハウスの先には東京湾観音など富津の山々も見えていました。
サブコースを歩きはじめるとハイキングコースから分かれる枝道は気になるところです。大平山の山頂にも竹藪の中に下る道がありました。現在のハイキングコースはクラブハウスのフェンス沿いを通り露岩の頂へ登っていますが、1/25000地形図では崖の傍を通っていたようです。
道が崩れるなどでハイキングコースが付け替えられることも良くあるようで山頂から分かれる枝道も付け替えられた道に続いているのでしょう。
天園のハイキングコースは平日にもかかわらずたくさんの人が行き来しています。やがて今泉団地の街並みが見えてくると覚園寺へ下る分岐です。さらに岩っぽい道を緩やかに登って行くと覚園寺道と刻まれた道標にたどり着きます。
ここは頼朝の墓から天園へと登った時にたどり着いた分岐です。あまり人は下っていないもののふみ跡は朱垂木やぐらを左に見ながら緩やかに下って行きます。
やがて急坂を下ると杉木立に覆われた広場にたどり着きます。かつては寺院などの建物があったのかもしれませんがそれらしい遺構はありません。
広場の先の小さな鞍部は四辻に分かれています。右手の道は建長寺の回春院へ、まっすぐ行く道は鶴岡八幡宮の裏に続いていたようです。
1219年、鎌倉幕府2代将軍源頼家の遺児、公暁は鶴岡八幡宮の銀杏の木の下で3代将軍である源実朝を暗殺しました。この道を逃走中に殺害されたと言われたことから、この道は公暁悲劇の道と呼ばれているようです。
左手に道は急な坂道を下って行きます。付近一帯は西御門と呼ばれ住宅地が広がっています。初老の男性が急坂を登っていましたが足腰が衰えると普段御生活も大変なところかもしれません。
やがて傾斜も緩やかになると横浜国大付付属小学校の校庭の脇にたどり着きました。これからはたくさんの観光客と一緒に鎌倉の駅を目指すことにします。