十二所バス停9:15-お塔が窪やぐら分岐9:35-(お塔が窪やぐらコース)-瑞泉寺コース9:50-北鎌倉線No21鉄塔10:00/10-獅子舞分岐10:20-天園分岐10:30-(獅子舞西尾根コース)-天園コース10:45-大平山10:55/11:05-天園茶屋11:30-天台山11:45-瑞泉寺分岐12:00-明王院12:25/30-左可井12:50/13:55-鎌倉駅14:40
鎌倉アルプスのサブコース歩きも4回目、天園のハイキングコースは古い歴史を伝える古都の背後に広がる山域と言うこともあり沢の一つ一つにも歴史の匂いが染みついているようです。
今回は北条高時を祀るお塔が窪やぐらや瑞泉寺裏山の天台山などをたどる軽いVハイクコースです。
たどり着いた十二所バス停から吉野川に沿った住宅地を緩やかに登って行くと番場ヶ谷のハイキングコースが始まります。今朝まで降り続いていた雨で道端の草木は濡れていました。ほどなく道は浅い流れを離れ左手の沢沿いを登っていくようになります。
沢沿いに登って行く道はあまり人が入っていないようで雨に濡れた落ち葉が厚く積もっていました。やがて道は小さな丸木橋で沢を渡ることになります。さらに登るとお塔が窪やぐらにたどり着きます。
北条高時を祀ると伝えられるやぐらは3つの岩窟からなり、中央の岩窟には風化した五輪塔が祀られています。近くには鎌倉幕府滅亡を今に伝える貝吹き地蔵や首やぐらなど、付近は歴史の匂いが所々に漂っているところです。
シダなどが目立つ急坂を登って行くと程なく天園から下ってくるハイキングコースに出会います。道端には小さなやぐら、その奥にある石塔は石塔婆のようです。
鎌倉の消防署が設置したNo5の標識から獅子舞に下る山道が始まります。ゆるやかに下った道は左手に下るふみ跡を分け天台山から続く尾根道へ登って行きます。ここは東電の送電線の下に続く尾根道です。
良く踏まれた道は北鎌倉線No21鉄塔の下へ、ここからは送電線の巡視路でよく見かける網状の階段が埋め込まれた山道が続いています。
明るい山道を下って行くと道は杉林の沢に向かい下って行くようになります。
小さな橋で二階堂川を渡ると獅子舞のハイキングコースです。この出口は道標やテープもなく判り難いところでした。
ここからは獅子舞のハイキングコースを緩やかに登って行きます。先日道を間違った獅子舞からのサブコース入り口は沢の先に続く薄い踏み跡のようです。
今回は登る西尾根へのサブコースは歴史的風土保存用地の看板の脇にあります。ここもあまり人が入っていないようで落ち葉が厚く道を覆う山道です。
緩やかに登って行く道はやがて尾根へと登る急な坂道になります。雨を含んだ登りは滑りやすく木の根、草の根につかまりながらの急登です。
やがて杉林の中を進むようになると目の前にJRの送電鉄塔が現れます。ここは2月の初めに登ったサブコースでたどり着いた鉄塔でした。
何時もたくさんの人で賑わう天園のハイキングコースも天気が思わしくないのかあまり歩いている人もいません。大平山の山頂からは低い雲の下に三浦アルプスの稜線が見えていました。
天園茶屋の先で獅子舞へと下る道を右に分けると瑞泉寺へと下って行くハイキングコースです。何時もたくさんの人が歩くハイキングコースは良く踏まれ歩きやすい道です。
番場ヶ谷へと下って行く道を左手に分けるとほどなく右手に天台山へと登って行くふみ跡が分かれています。
藪の中に付けられた道をわずかに登ると石祠が祀られた天台山の山頂です。視界もない山頂には三角点と木に打ち付けられた山頂標識を見付けるだけです。
登山道に戻ると小さな切通の先は貝吹き地蔵です。その先には先ほど獅子舞へと下って行ったNo5の案内板が建っていました。
ここからは大亀石ややぐら群を見ながらなだらかにハイキングコースを下って行きます。付近にあると言う首やぐらは北条高時など一族の首を葬ったところと伝えられています。
さらに下ると奥津城やぐらです。この岩窟群は鎌倉時代の武士の墓とか、暗い岩窟の中には五輪塔が祀られたものもありました。
登山道は瑞泉寺へと下って行く道を右に分け、ハコネザサがうるさい山道を下って行きます。暗い林の中に建つ社ははじめ弁天、金沢から江の島へ参拝に訪れた旅人がはじめてお参りする弁天社と言います。かつてはこの山道も金沢と鎌倉を結ぶ街道となっていたのでしょうか。
山道はハコネササのトンネルの中を下って行きます。やがて民家の屋根が近くに見え始めると住宅地の脇にたどり着きました。その先は茅葺屋根の本堂が建つ明王院です。この時期境内は赤や白の梅の花に彩られていました。