北鎌倉駅10:15-浄智寺入り口10:25-葛岡神社・源氏山10:55/11:25-銭洗弁財天11:35/45-佐助稲荷12:00/05-小町通り・鎌倉駅12:30
緑の丘に包まれる鎌倉には歴史の跡をめぐるハイキングコースがあります。葛原岡・大仏ハイキングコースもそのようなコースの一つです。山の会の仲間と早春の鎌倉をめぐる軽いハイキングを楽しむことにしました。
待ち合わせた北鎌倉の駅前からはたくさんの観光客と一緒に浄智寺へと向かうことにします。鎌倉は中学校などの学校遠足に利用されているようです。生徒が選んだコースを数人の小グループでめぐるようで、学生服にノートを持った子供たちが足早に通り過ぎて行きます。
浄智寺の参道を過ぎると山道が始まります。雑木林に包まれた山道は小さなアップダウンがあるもののよく踏まれた歩きやすい道です。
しばらく登ると源氏山公園の広場です。ここは太平記にも登場する日野俊基を祀る葛原丘神社のあるところです。後醍醐天皇の倒幕計画に参加した罪で捕らえられた日野俊基はこの地で処刑されたと言います。
源氏山公園には鎌倉幕府滅亡の歴史を伝える化粧坂があります。元弘3年(1333年)、鎌倉を攻める新田義貞は須崎の戦いで鎌倉勢を破り巨福呂坂、極楽寺坂、そして化粧坂の三方の切り通しから鎌倉に攻め入ろうとしました。しかし北条勢の守りが固かったため義貞は引き潮に乗じ稲村ヶ崎を突破し、鎌倉市内に攻め入ったと伝えられています。
ここ化粧坂は北条一族の金沢貞将が守っていたと言われています。今は緑に包まれた坂道も甲冑に身を包んだ強者の歓声に包まれていたのでしょう。
化粧坂の先には源頼朝像が立っています。烏帽子をかぶり大鎧を身に着けた姿は教科書などで見る面影より少し細めのようです。ここは源義家が後三年の役で出征の時に源氏の白旗を立てたことから源氏山と呼ばれるようになったと言います。
源氏山公園からは大仏ハイキングコースを離れ銭洗い弁天に向かいます。急な舗装道路を下ると銭洗い弁天の入り口です。弁財天を祀る神社で「岩窟より湧出する霊水にて銭貨を洗えば福寿開運する」と伝えられるところです。
狭い境内は学校遠足の学生をはじめたくさんの観光客でにぎわっています。小さな岩窟の中には笊が置かれ、霊水と言われる水で小銭を洗う人の列が出来ていました。
銭洗い弁天からは佐助稲荷に参拝して鎌倉駅に向かうことにします。佐助稲荷は大仏ハイキングコースからも立ち寄ることが出来るところのようです。赤い鳥居が続く石段を登って行くと奉納旗に囲まれた拝殿があります。
拝殿の前の案内板には伊豆に流されていた源頼朝に翁の姿に化けた稲荷神が平家討伐の挙兵を勧めたとか、頼朝は佐殿(すけどの)と呼ばれていたので「佐」が助けられたので「佐助」稲荷の名がついたと紹介されていました。
佐助稲荷からは鎌倉駅に戻ることにします。鎌倉は谷津または谷地と言われる谷合いに多くの寺社や有力御家人が屋敷を構えていました。室町時代、関東を支配していた上杉氏の一つ扇ヶ谷上杉家の屋敷跡もこの近くの谷地にあったと言います。
佐助町の交差点を左に折れると鎌倉駅へは700mほど、たくさんの観光客と一緒に市街地を進むと鎌倉駅は目の前です。