梅林公園(10:50)-0h30m-227m峰(11:20/35)-0h45m-稜線分岐(12:20)-0h25m-京路戸峠12:45/50-0h25m-諏訪岳(13:15/14:00 昼食)-1h15m-290.3m峰(15:15)-0h35m-唐沢神社(15:50/16:00)-0h30m-梅園公園(16:30)
佐野郊外の小さく連なる稜線の上には関東七名城の一つに数えられる唐沢山城址があります。唐沢山城は平時代の末期、平将門の乱を鎮圧した藤原秀郷が築いたと伝えられる山城です。戦国時代には相模の北条氏、越後の上杉氏の2大勢力に挟まれ、幾度も抗争の舞台となったところと言います。
現在は唐沢神社が祀られた唐沢山から諏訪岳へと続く稜線は関東ふれあいの道として整備され、高い山が雪に包まれるこの時期は冬枯れの稜線をたどる軽いハイキングコースとしてネットなどにも紹介されています。
佐野市街を通り抜け唐沢神社へと登って行く道を右に折れると畑の中に梅園公園の駐車場があります。まだ芽ぶきも始まらない公園の駐車場にはハイキングに訪れたのか数台の車が停まっていました。
松林の中を登って行く登山道は倒木が道を塞ぐ荒れた道で、関東ふれあいの道から外ていることもあり利用する人も多くないようです。ひと登りすると227mのピークを目指す急な登りが始まります。しばらく雨が降っていない登山道は枯れ葉が道を多い、思いのほか滑りやすい登りです。登山道には岩舟町が設置した図根点や宮標石があります。この付近もまた古い御用林だったのでしょう。
たどり着いた227mのピークからは小さなコブを拾いながら関東ふれあいの道か通る稜線を目指すことにします。右手には東北道を挟み晃石山や馬不入山の頂が青空の下に大きな稜線を広げていました。
たどり着いた関東ふれあいの道が通る稜線で道を右に、ここからは良く整備された道が始まります。木の階段が設けられた小さなコブを越え、240m峰を巻きながら下って行くと京路戸峠です。暗い林の中の峠にはベンチが置かれていました。
村桧神社へと向かう明るい雑木林を緩やかに登って行くと諏訪岳への分岐点、ここからは急な登り返しが始まります。
細くなった稜線を登って行くと左手の視界が開け、目の前には男体山や女峰山から奥白根山、皇海山、袈裟丸山、さらには赤城山や浅間山など、まさに北関東の山々を一望するパノラマが広がっています。浅間山の前に連なる頂は浅間隠山と榛名山、この2つの山塊が真近に連なって見えるのも珍しいものです。
息を弾ませながらたどり着いた山頂は目の前の木が伐採され広い展望が開けるところです。すでに気温も上がっているようで幾分白く霞んだ空の下に赤城山などの稜線が広がっていました。
展望を楽しみながら山頂で昼食。ここからは往路をたどり唐沢神社へ向かうことにします。思いのほか急な階段を登り返しながら小さなピークを越えるとやがて梅園公園から登ってきた道を合わせます。さらに少し進むと広い林道にたどり着きました。
林道は290.3m峰を巻いて唐沢神社へ向かって行きます。この頂の上に三角点があると言うことで登ることにしました。短いながら落ち葉に覆われた滑りやすい急坂を登ると2等三角点の置かれた頂です。目の前は広く開け唐沢山の先に佐野の街並みが広がっていました。
林道をしばらく進むと唐沢神社の分岐点です。さらにしばらく進むと唐沢神社にたどり着きました。ここは唐沢山城跡に祀られた神社で、付近には唐沢城の遺跡が残っているようです。案内板には金の丸やお花畑の案内、赤松が茂る境内にも土塁の跡が残っているようです。
本丸跡と言う唐沢神社の拝殿に参拝、まだ初詣での参拝者が来るようで境内は〆飾りやお札など正月の雰囲気に包まれていました。
唐沢神社からは梅林公園への道を下ることにします。しばらく下ると工事用のバリケードが分岐点に置いてあります。以前は道が荒れていたので通行止めになっていたようですがバリケードは安全第一の表示だけです。
ここからは荒れ気味の道を沢に向かって下って行きます。やはり日の短い季節ではそろそろ道は暗くなり始めていました。
しばらく下ると車を停めた梅園公園の傍にたどり着きました。息を弾ませながら登った雑木林の尾根が暮れ始めた夕日に真っ赤に染まっていました。
佐竹城、宇都宮城、唐沢山城、金山城、前橋城、忍城、川越城を関東七名城と言います。いずれの城も天守は現存せず、他の構造物や城郭の多くが破壊され市街地化されています。唐沢山城、佐竹城、金山城は戦国時代の城であり、近世には廃城になりました。