唐沢山城は標高242mの唐沢山山頂を本丸とする山城で、関東七名城の一つに数えられるの城です。築城は平安末期の武将で平将門の乱を平定した藤原秀郷と伝えられています。
一時期、足利の荘に移り唐沢山城は廃城となりましたが建保元年(1213年)、佐野氏を名乗った佐野成俊により完成しました。
戦国時代の佐野氏は相模の北条氏、越後の上杉氏の二大勢力に挟まれ、幾度もその攻撃を受けました。
山頂一帯には幾つかの郭があり金の丸や長門丸には空掘跡、本丸を取り囲む武者だまりには土塁の跡も残っています。本丸は唐沢山の山頂で唐沢神社が祀られていました。
石段を下って行くと唐沢神社の社務所が建つ南城です。ここは展望が開けるところで霞んだ空の下には新宿の高層ビル、左手にはスカイツリーも霞んでいました。
?~940年、平安中期の武将。上洛して藤原忠平に仕えたが、希望が叶えられず関東に戻った。同族内の領地争いから伯父の国香を殺し、武蔵国や常陸国の紛争に介入するなど関東に勢力を拡げた。自ら新皇と称し関東独立を図ったが朝廷の追討軍との争いに破れた。京都で処刑され首が飛び帰って葬られたのが大手町将門首塚とされる。
?~940年、平安中期の武将。上洛して藤原忠平に仕えたが、希望が叶えられず関東に戻った。同族内の領地争いから伯父の国香を殺し、武蔵国や常陸国の紛争に介入するなど関東に勢力を拡げた。自ら新皇と称し関東独立を図ったが朝廷の追討軍との争いに破れた。京都で処刑され首が飛び帰って葬られたのが大手町将門首塚とされる。