荒神山駐車場9:40~荒神山10:00~茶臼山11:00/20~根本山11:55/25~籾山峠12:45~220m付近13:20/30~日向山14:05/15~菅塩峠14:25/35~菅塩沼14:50/55~治良門橋駅15:40
ヨーロッパを中心にコロナウィルス感染者が増加する中、イタリアはオーバーシュートと言われる感染爆発で医療崩壊が発生、スペイン、フランス、ドイツなどのほかアメリカも危機的な状況と言うニュースが流れています。
国内では感染爆発は抑えられているようですがどこも自粛気分、お彼岸の連休にもかかわらず花見にも行けない、イベントも開かれていないようです。しかしアウトドアでは感染危険はあまり多くないと言います。連日の好天でカタクリも咲き始めたと言う山行情報に誘われ、八王子丘陵のハイキングに出かけることにしました。
北関東道の太田藪塚インターから一般道に降り阿佐美駅に、荒神山登山口の近くには無料の駐車場があります。ここに車を停め荒神山を目指すことにしました。
登山口から僅かに登ると西カタクリ群生地への分岐、道路沿いの金網に沿ってしばらく進むと雑木林の中にカタクリが群生しています。まさに今が満開、うつむき加減のピンクの花が明るい斜面に咲いていました。
カメラのファインダーにカタクリの花を収めながら登山道を登ると尾根コースです。さらに緩やかに登るとベンチが置かれた荒神山にたどり着きました。ここで出会った3人連れのハイカーは地元の人、このコースは良く歩いているようで地元の山の話などもしてくれます。
低山の常でしょうがこのコースにはたくさんの枝道、峠道などがあるようです。所々に地元の人が整備した道標が建っています。
緩やかに登ったコブの先で尾根コースを分かれると茶臼山への登りです。岩っぽい急坂を登り詰めた山頂からは桐生の街並みの先の赤城山がそびえていました。
南側には関東平野の展望が広がるようで、冬などではスカイツリーも見付けることができるようです。しかし春先の空の下では奥多摩や奥秩父の稜線も霞んでいました。
茶臼山からは尾根コースに戻ります。緩やかにアップダウンを繰り返すコースには小さな子供を連れた家族連れなどが目立ちます。コロナによる休校により体を持て余す子供のストレス発散ということもあるのでしょう。
金山城北の砦と書かれた道標の脇には古い井戸跡、金山城は文明元年(1469年)新田一族の岩松家純によって築城された山城です。日本百名城にも選ばれ上杉謙信や武田勝頼などの攻撃にも耐えたと言う堅城です。城はぐんまこどもの国近くにありここはその北の砦があったところと言います。
八王子山頂の小さな山頂標識の周辺に土塁などがあったのでしょうが当時の面影を見付けることはできません。近くには八王子と刻まれた古い石碑、籠山千日講行所と刻まれた石碑がありました。
少年自然の家へと下って行く道を右に分けると明るい尾根道は展望が開けるところにたどり着きます。木立に打ち付けられた目立たない山頂標識には根本山、展望を楽しみながらベンチに腰を下ろし昼食にしました。
霞んだ春の空の下では展望は今一つ、それでも榛名山の左には雪を被った浅間山、さらにその左手には御荷鉾山や赤久縄山などの山塊が連なっているようでした。
緩やかに下ると籾山峠です。ここからは明るい雑木林の中の登り返しが始まります。木の階段が続く急坂は標高差150mほどでしょうが思いのほか疲れる登りです。
右手にゴルフ場のグリーンを眺めながら尾根コースを進むと八王子公園墓地へ下る道を分ける分岐です。
緩やかにアップダウンを繰り返す尾根道は目立たない加茂沢峠へと下ります。ここからも菅塩沼へと下って行く踏み跡が続いているようでしたがあまり踏まれていない道のようです。
登り返した小さなコブは日向山です。木立には目立たない山頂標識、不明瞭な踏み跡が日向山二柱神社へ続いているようです。
急な木の階段を下ると塩菅峠にたどり着きました。予定では唐沢山へと登り返し北金井キャンプ場へ下るつもりでしたが帰りの電車の時間が気になるところです。今日は菅塩沼から治良門橋駅に下ることにしました。
暗い杉林の中に続く道をしばらく下ると東屋があります。この周辺は菅塩沼に続く遊歩道として整備されているところのようです。さらに下ると釣り堀などもある菅塩沼です。桜の名所のようで枝先の蕾も大きくなっていましたが満開は3月の末でしょうか、静かに水をたたえる沼のほとりには早咲きの桜が咲いていました。
愛宕神社から明るい集落の中を治良門橋駅駅へと向かいます。右手は旧中島飛行機の地下工場があったところとか、今では目立たない市街地にも戦争の歴史が残っているようです。
北関東道の高速をくぐり、道を左に折れると治良門橋駅です。塩菅峠からは1時間ほど、桐生行の電車で阿佐美駅に向かいました。車窓からはなだらかに連なる八王子丘陵の稜線が見えていました。